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01:理不尽な異動に納得がいかねえ!【公開】

01(X1年11月)

 入社3年目の内田君が今日も遅刻した。大卒3年目の正社員だが、腕も悪いし、覚えも悪いし自己管理もなってない。通常、大卒正社員であれば、3年目には店舗マネージャーに出世していてもおかしくないのだが、彼は未だにサブマネージャーにすらなってない。かなり厳しく叱りつけた上で、今週は休日も出勤するよう命じたのだが、命じた際の「休みだけは~」と哀願するような表情を作る辺りがいちいちムカつく奴で、全くもってやる気が感じられない。 

 そもそも、散々自宅で手技の練習をしてこいと言ったにも関わらず、サボりにサボった挙げ句のこの体たらく。当然彼に問題があるのだが、反省する振りだけして一向に改める気配が無い。こういうクソスタッフが1人居るだけで周囲は迷惑するのだが、私の所属する片岡メディカルという会社は人事部の連中の目が節穴なのか、何なのか知らないが、半分以上の人間が内田君のようなスタッフであり、その負担としわ寄せが一部の出来る人に集中する。にも関わらず、役職や成果による手当はごく僅かで、殆ど年功序列のような給与体系の為、サボった奴が得するような仕組みになっているのだ。 

 昼過ぎ、これから目黒本社へ向かう。サブマネの成瀬君に店舗を任せ、控え室へと下がる。内田君の件で午前はイライラしていたが、今はワクワクしている。

 私は現在、片岡メディカル株式会社が運営するリラクゼーションマッサージ店で店舗マネージャーをしている。全国に200店舗以上の店舗を構え、業界でも上位の店舗数に売り上げを誇る。医療専門学校で柔道整復師という、極めてシンプルに言えば接骨院の先生の資格を取得した後、正社員として入社し、もう10年になる。
 なお、現在店舗マネージャーを務める渋谷店は3年目。恐らく今日の内示で、エリアマネージャーへの昇格を告げられるのだろう。もしエリアマネージャーへの昇格が決まったのだとすれば、同期で最速の出世となる。


02

 渋谷の雑踏を急ぎ足ですり抜け、山手線のホームへと昇り、丁度到着した電車に乗り込んだ。車内は比較的空いていた。私は扉のすぐ脇に乗り込み、窓の外の景色を見ながら、昇格を告げられた際のコメントを考えていた。

 電車が目黒駅に到着。急ぎ足で改札を抜け、駅から10分少々の場所にある本社へと歩いて行く。目黒本社と言っても目黒駅付近にある訳では無い。駅から細い道を下り、大きなホテルの脇を抜け、目黒川を超えた向こうに本社ビルがある。

 片岡メディカルの自社ビルなのだが、元々どこかの会社の自社ビルだったのを、20年前くらいに買ったものだそうで、正直、リラクゼーション事業を営む会社の本社ビルとしては、あまりにゴツゴツ過ぎるというか、どこぞの駅の裏界隈にある古いビルっぽいというか……、要は似つかわしくない。
 もし、暖色系の看板にマッサージなどと掲げてようものならば、勘違いした殿方共がやって来て「裏オプションはありますか?」と聞いてきそうな、そういう外観のビルなのだ。
 一応、現社長になり、1階部分だけは改装してキレイになったのだが、1階部分の澄ました感じと上階部分の裏界隈ぶりとの落差が却って怪しさを助長している。幹部もそれは認識しているそうで、来年だか再来年に一応外壁を塗り替える予定だそうだ。私もそれが良いと思う。 

 本社ビルに到着。マネージャー職という事もあり、月に数回はやってくる場所なのだが、今日はちょっと緊張する。普段は上下スウェットに上着を羽織る程度なのだが、今日は背広っぽく見える黒のチノパンに、オックースフォードタイプのワイシャツ、背広っぽい上着を着用している。慣れない服装のせいもあるのかもしれないが、歩き方にも力みがある。入口前で一旦深呼吸をし服装を整え、澄ました雰囲気のエントランスから本社ビル内へ。

 入ってスグの脇に、1メートル弱くらいの白のプランターが間仕切り代わりに配置されていて、その向こうは待合に来客対応用の応接ルームがある。待合には3人掛けのベンチが3脚並んでおり、自動販売機が置かれている。
 ビルは9階建てで、エントランスの隣はテナントになっていて、かつては直営治療院だったが、今はお弁当屋さんが入っている。2階~6階が事務所になっており、7階はカフェテリアと研修室。8階には会議室や面談室などがあり、9階が社長室、重役室となっている。

 エレベーターに乗り8階で下りる。張り紙だらけの廊下を抜けて、来るようにといわれていた第三面談室へと向かう。面談室の入口脇にある内線電話で到着した旨をスタッフに伝えると、「中でお待ちください」と言われた。

 中に入ると、面談室の壁には会長が書いた額縁入りの毛筆の社訓が目に入る。

  • 短気は損なり。

  • 何事にも寛容であれ。

  • 心に始まり、心で終わる。

 いつも思うのだが、何を言いたいのか分からない。よくある話だとは思うが、【会長の直筆】、というだけで内容に関しては反論も異論も許されない。どう考えても、意味不明だと思うし、訓戒としてどう活かせば良いのかが分からない。
 一度、会社の幹部に尋ねた事もあるが、「そこは触れなくて良い」との回答だったので、側近ですら感じているけど何も言えないのだろう。確かに、片岡メディカルはそういう会社だ。


03

 しばらくすると扉をノックする音に続いて課長の金子さんが入ってきた。

 椅子から立ち上がり挨拶をする。挨拶も半ば、金子さんが座るよう指示を出したので、それに従う。金子さんも椅子に腰掛け、持参した書類を揃えるように机の上でトントンと叩いている。揃えた書類を置きこちらを向くのだが、中々視線が合わない。どうやら緊張しているみたいだ。呼吸の感じからも分かる。

 嫌な予感がする。金子さんが社交辞令めいた話を始めた。「今日は暑いな~」。「仕事の方はどうだ」。「年末年始はどうする」。などなど。

 金子さんとは普段からコミュニケーションをよく取る。飛び抜けて優秀というタイプの人ではないがすごく良い人で部下から好かれている。私は生意気で上司には煙たがられるタイプの人間だが、金子さんに関して時々飲みに行くなど関係性は良い。その金子さんが、まるで久しぶりに会った人と世間話で時間を潰すように、どうでも良い話を延々と続ける。

 どうも悪い話のようだ。

「金子さん、あんまり良い話じゃないんでしょ」
 金子さんが頷く。
「う~ん。川尻、俺は納得がいかないんだ。かなり反対もしたんだよ」
 やっぱり悪い話のようだ。
 姿勢を正し、上着の襟裾を整え「金子さん、言って下さい」と促す。

 金子さんは目の前に置いた書類の端をパラパラ漫画でもめくるかのように、親指でザザっと音を立てながらはじく。はじき終えた親指を手掌内に折込み拳を作ると、その拳で書類の中央をドンと叩いた。

 ドンという音で、金子さんも腹を決めたらしい。二度ほど咳払いをすると、金子さんは、少し怯えるような目と改まった口調で内示を告げた。

「川尻、1月から大井町接骨院の副院長として働いてもらいたい。これは既に決定事項であり、事前相談では無い」 (内示で会社からの提案と、本人の希望とを摺り合わせたり、事前に確認することがある)

「えっ」

 予想を遙かに上回る悪い知らせだった。思わず目を見開き「えっ」と言ったまま、次の言葉が出てこない。せいぜい、エリアマネージャーへの昇格が見送られ、別の店舗のマネージャーを続けることになる、その程度の話だと思っていた。

「えっ大井町接骨院ですか?」

 大井町接骨院は、社内では通称「掃き溜め」「辞めさせ部署」と呼ばれている。昨年も、問題を起こした従業員や、辞めてもらいたい従業員が異動させられ、間もなく退社した。一人はお客さんに対するセクハラで飛ばされたスタッフ。一人は技術的に未熟なゆえにお客さんに怪我をさせたスタッフ。

 なぜ、そんな部署に自分が異動になるのか? 全く理由が浮かばない。

 金子さんが気まずそうな顔を浮かべる。
「あ~、川尻。今回の決定は降格のようで降格では無い。給与は今までと変わらないし、副院長といっても実質院長みたいなものだから……、あ~、実質降格ではない」。
 金子さんは気まずそうな顔のまま説明を続ける。
「まあ、上の意向で決まったことでな、あ~、俺としては反対した。が、あ~、多分本社も懲罰を意識したものではない……と思う」。

 何やら熱いモヤが腹の底からこみ上げてくる。口を開けば、確実に会社批判が飛び出してきそうだが、幾ら納得のいかない人事とは言え、金子さん相手に暴言を吐くのは違う。そのくらいは分かる。

 金子さんの取り繕ったような話を適当に受け流すと、私は「分かりました。引き続き宜しくお願いします」と返し席を立ち、「ちょっと待て」と止める金子さんを無視して急ぎ面談室を出ていった。

 怒りを駆動力に変えたような足取りでエレベーターへと向かう。
 金子さんが小走りで追ってくる。「川尻、きっと何らかの誤解が原因だと思うんだ。必ず何とかするから、辞めるとか言わないでくれ、なあ~」。
 私の肩に手を乗せ、金子さんは何度も何度も「俺も努力するから」と細い声で繰り返した。肩に金子さんの手の冷たさを感じると、腹の底からこみ上げるようなモヤは一旦収まった。

 金子さんも自分に告げるのは辛かったに違い無い。大体、人事課の人間が同席してない。つまり、この人事を決めた本部の人間が居ないのだ。
「金子さん、何かすいません。これから引き継ぎやるんで、次のマネージャーは誰ですか?」。
「あっそうか、そうか……、忘れてた」

 金子さんは、「誰だっけ?」と呟きながら、急ぎ手持ちの資料を確認している。
「あ~、川尻、次のマネージャーは大林だ。お前も知ってるよな」
「えっ大林?」

 あまりに意外だった。というよりあり得ない人事だ。大林は私が、渋谷店のマネージャーになった年に配属された人物で、技術から接客から勤務態度に至るまで何一つなってない奴。お客さんからのクレームも多く、女性客から連絡先を聞き出そうとして問題になり、千葉の田舎の方の店舗に飛ばされた人物。

「なんで大林なんですか?」
 金子さんは首を傾げながら答えた。
「専務側から捻じ込まれたんじゃないか? 普通にあり得ないからな」


04 

 申し訳なさそうな表情を作る金子さんに見送られエレベーターに乗り7階のボタンを押した。

 会社のビルの7階にはカフェテリアがある。カフェテリアと言っても、自販機や珈琲マシーンが配置されている場所の周辺に、社内で余った椅子や机が適当に置かれているだけで、都内の有名大学や大手企業で見掛けるようなオシャレなカフェテリアとは全くもって別物だ。

 特に机は、鉄のフレームにベニヤ板をくっつけただけの工場の作業台にでも使われるような殺風景な物で、机の面をよく見ると、恐らく油性マジックで掲示物を書いて裏に染みてしまった跡だと思うが、「お知らせ」と読める黒の汚れが、焦げ茶色の板に薄く残っている。

 でも、不思議なもので、この余り物と古い物で構成された、名と体がチグハグなカフェテリアは居心地が良い。

 そんな名と体がチグハグなカフェテリアに寄ると、同期入社の田尾が500ml缶を片手に窓から外を眺めている。「おす!」と声を掛けると、振り返り「おー川尻!」と手を振って返した。田尾はラグビー部出身でFWをやってたという割には、力士のような、いや子供が力士というニックネームを付けそうな、あんこ型の体型をしている。身長は確か185cmで、体重は110キロ~120キロ程度だと聞いたことがある。下半身も安定しており、実に頑丈そうな外見だ。ただし、本物の力士と違い体脂肪率が異様に高い。

 田尾も内示で呼び出されたそうだ。本当は内示を明かしてはいけないのだが、そんなのお構いなしに2人で話す。どうやら田尾は、リラクゼーション事業部・大崎店のマネージャーから、現在社長が力を入れているフィットネス事業部へと異動になったそう。

 田尾が戯けた表情を作る。
「川尻、俺がフィットネス事業部って、説得力無いよな~」
「確かにな。田尾をダイエット指導ってギャグだろ」
「だから、ダイエットの為に、コーラからファンタに変えたんだよ」
「ハハハ」(愛想笑いしておいた)

 田尾は健康診断でコレステロール値が高くて困ったという話。最近、股ずれが酷くて困っている、といった自虐ネタを立て続けに披露する。田尾は、いつも、こんな感じでふざけている。そのあんこ型の体型とふざけたがりの性格のお陰もあってか、社内ではムードメーカー的な存在で、彼が居るだけで場が明るくなる。

 私は今日の理不尽な人事に対する不満を吐き出したくて、田尾を食事に誘うことにした。
「なあ、田尾、飯行こうぜ、今日はお前に俺の悲劇について話したいんだよ」
「何だよ悲劇って?」

 私が「エリマネへの昇格じゃなくてさ飛ばしなんだよ」と伝えると、田尾もふざけるのを止めて、「まじか、川尻もか。実は俺もなんだよ。よし、とことん付き合うよ」と答えた。


05

 田尾と2人で会社を出ると、会社から少し離れた場所にあるファミリーレストランへと向かった。

 あぶらとり紙の女性のイラストにハの字の眉毛を足したみたいな素敵な笑顔の店員さんに案内され席へと移動する。私は案内先が2人用の席になりそうだったので、店員さんに声を掛け「すいません、コイツこんななんで、広い席でお願いします」と指差す。

 田尾もテレビの演出でよく見掛けるような「でーん!」という効果音を口真似しながら両手の親指で自分を指すポーズを取る。

 店員さんの目尻と眉が一層垂れ下がり、右手の平で口元を隠すと「分かりました」と言って、奥の4人掛けのソファー席へと案内し直してくれた。田尾は「あの小さな椅子だと壊しちゃうかもしれないからね~」とふざけている。

 席に座ると、いつも通り田尾が戯け出す。「俺ダイエット中だから」といいながらセットメニューを2つ頼む。「血糖値対策で」と言いながらコカコーラを頼む。「野菜を先に食べるといいんだよ」と言いながら、フライドポテトを頼む。私が「フライドポテトかよ」と指摘すると、「じゃがいもは土に埋まってるから野菜だぞ」といってふざけている。私と一緒の時は、私が小さなボケをいちいち拾い上げるものだから、調子に乗って3つも4つも5つも続ける。

 今日も「分かったから、会話をしようぜ」と打ち切るまで延々小ボケを続けていた。

 田尾と知り合ったのは高校時代。柔道の全国大会の団体戦で対決したのが最初の出会いだった。その後も柔道部の練習試合や大会に出る度に顔を合わせるようになり、いつしか仲良くなっていた。その後、選抜の合宿でも一緒になり、お互い推薦で大学も一緒になる予定だったが、私が起こした事件のせいでそれは叶わず。(事件の詳細は後ほど)
 だが、入社前の研修で再会。当時は新入社員の半分以上が1年で音を上げて辞めてしまうような厳しい職場だったが、その厳しい中をくぐり抜けてきた同志でありライバルでもある。

 なお、お互い同期の出世頭でもあった。
 私が掃き溜めに飛ばされた事を告げると田尾は驚いていた。

「川尻、なんでお前が掃き溜めに飛ばされるんだよ。上と揉めたのか?」
「う~ん。年柄年中揉めてるからね。でもこういう理不尽な待遇は受けたこと無かったんだよな」

 田尾の目が急に鋭くなる。

 いつもはニコニコ笑顔で過ごしている田尾だが、真面目な話をする時にだけ目が鋭くなる。普段とのギャップのせいもあってか、田尾との付き合いが浅い人だと、怒っているかと勘違いしてしまう。(だからこそ、田尾は普段からニコニコ笑顔を心掛けている) 

 私の場合、柔道部で対戦した際に、田尾の今以上に鋭く、黒目が絞られた、まるで相手を射貫くような目つきの彼を知っているから、何とも思わないのだが……。

「川尻、お前も知ってると思うけど、今内の会社さ、専務派と社長派で揉めているだろ」
「あ~、知ってるよ」
「専務派がさ、乗っ取りを企んでさ、人事にまで干渉し出しているらしいんだよ」
「らしいね。俺も山田さんから聞いた」
 山田さんとは社長の右腕として社長室長を務めており、会社の内々の仕事を担当している人だ。私にとっては先輩や上司の中で最も仲が良く、年柄年中一緒に飲み歩いている人。

「多分だけどさ、お前の掃き溜め行きも、専務派の仕業だと思うぜ」
「だよな。だって俺の後任のマネージャーが大林だよ」
「えっ!大林って、あのセクハラ野郎か!」
「いやいや、セクハラじゃ無くてナンパ野郎」
「いやいや、あいつセクハラもやってるんだよ」
「え~、それは知らん」

 田尾によると、千葉の田舎に飛ばされた後に、またやらかしたらしい。
 派遣で入ってきた19歳の女性スタッフに度重なるセクハラ発言を繰り返し、女性スタッフの親が本社まで苦情に訪れた事があったそうだ。

「え、何でそんな奴が渋谷店のマネージャーになるんだよ。ヤベーだろ」
「だから、おかしいだろって言ってるんだよ。普通だったらあり得ないだろ。結局、あいつがさ専務の後輩の弟だから、こうなってんだろ」

 誰が見てもおかしいのだが、アホ専務が乗っ取りを企み始めてから、こういう理不尽な事が平気で罷り通るようになった。当然、抗議する人もいるのだが、それで折れるような輩では無い。

 だから、まともな人は大体辞めてしまう。


06

 注文した料理が配膳される。素敵な笑顔の店員さんに田尾が絡む。「すいません魔法をかけてもらえますか」とかアホな事をお願いしている。「メイドカフェじゃねえんだから辞めろよ」と止めるが、店員さんが乗りの良い人で、「おいしくなあれ」と熱々のハンバーグの載った鉄板の上で指先をくるくると回した。

 田尾が「おー。照りが、照りが、店員さんのお綺麗な肌に負けないくらいに美しくなりましたよ!」とふざけている。ひと魔法(ウザ客対応)を終えると、店員さんが顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに下がっていった。

 田尾は下がっていく店員さんの背中に「ありがとう!サービス料、お代に乗っけておいて」と告げると、即座に真面目な表情に戻った。

 急な真顔に私が吹き出すと、真顔と笑顔を交互に作りふざけ出した。
 しばらく真顔と笑顔の行き来を繰り返した後で、真顔の方に定まると、少し静かな声で話し出した。

「川尻。実は俺もさ、フィットネス事業部って言ってもさ、総務課なんだよ」
「えっ。なんで?」
「実はさ、俺さ、アホ専務の下っ端と大喧嘩になったろ――」
 田尾が揉めたアホ専務の下っ端とは田尾がかつてマネージャーを務めていた駒込店に居た暴走族上がりのサボり魔の事で、厳しめに叱ったところ、殴り合いの喧嘩に発展。だが柔道全国大会レベルの実力者に族の幹部クラスでもない群れてただけの小物が勝てるはずもなく、あっという間に関節を決めて押さえつけ返り討ち。ただし、田尾はその件で本部に呼び出され、アホ専務派の幹部の前で土下座させられるという事件があった。

 田尾が続ける。
「多分、その報復だと思うんだよね。マジあいつら脳みそ戦国時代だからな」
 充分あり得る話だ。
 田尾が続ける。
「俺の場合は救済措置みたいだな。エリアマネージャーがそう言ってたからな」
「なるほど、一旦総務課に避難してって事か」
「そうそう。そういう事。一旦総務課で預かった上で、多分フィットネスジムの現場に移るんじゃないかな~。こっちはオール社長派の部署だからね」

 私の受難も、田尾の受けた理不尽も、アホ専務による攻勢が活発になった証拠なのかもしれない。

 実際、元々全国一体的に運営していたリラクゼーション事業部が、東日本と西日本に分割され、西日本をアホ専務派が完全に仕切るようになった。(ただし、西日本と言っても神奈川と西東京は西日本に属する)

「今もさ、年柄年中社長に権限を寄越せって談じ込んでいて、東日本の人事にも干渉してるんだよ」

 田尾によると、リラクゼーション事業部の売り上げは東高西低で、事業部を2つに分け西側の管理に新たにスタッフが必要になってしまった結果、東と西で利益格差が激しくなっている。その上、アホ専務や取り巻きの一存で勝手に後輩や気に入った野郎を正社員として採用するものだから、どうしても人が余る。その余った人材を東日本に押しつけてくるのだそうだ。

 ただ、一方で脳みそ戦国時代の武闘派経営なので、派遣やパートで雇ったスタッフはスグ辞めてしまうらしく、そのヘルプを東日本側のスタッフで対応する事もしばしば……。

 食事を終えてレストランを出る。田尾はすっかり店員さんと仲良くなっていた。
 目黒駅で田尾と分かれ電車に乗った。先ほどよりも車内は混んでいて、電車の乗降口付近のスペースが占拠されていた為、座席と座席の間のスペースへ移動した。

 どうやら間違いない。私に関しても報復人事のようだ。確かに、田尾以上にアホ専務派の連中とも揉めてきたし、取っ組み合いの喧嘩など両手両足では足りないくらいの回数になる。恐らく、専務派の連中が本部に談じ込んだんだろう。だから、エリアマネージャーの金子さんも事情がよく分かっていなかったか、もしくは分かってても口外できなかったが故に、本部の決定としか言いようがなかったのだろう。

 だとしたら仕方ない。辞めろというメッセージではない事は分かった。恐らく私の場合、アホ専務派の報復もあって、一旦は掃き溜めに飛ばす事になっただけで、金子さんも言ってたように、降格ではないし、副院長に収まるのだし、「辞めるとか言わないでな~」という哀願まで加わった訳だ。
 なるほど納得。ほとぼりが冷めた頃に社長派が仕切る事業部に戻る事になるのだろう。

 まあ、それだったら仕方ない。


07

 田尾と別れ目黒駅からMG線に乗るとH駅でTK線の普通電車に乗り換え数駅で自宅のある梅ヶ丘駅に到着した。商店街と梅林で有名な駅で、私の地元でもある。
 私は、その駅から10分程の場所にある大型マンションに妻と息子と3人で暮らしている。築年数は22年と大分経つものの、元々ハイグレード分譲マンションとして売り出された物件で数年前にリフォームしている為、全く古さは感じない。
 それも、私の母親が保有する物件の為、家賃も無料で管理費だけを負担しているのみ。正直、私の今の給与では、とてもじゃないが住めるようなマンションではない。

 では、なぜ、こんな高級マンションに家族3人で住めているのかと言えば、それは我が家の家庭事情が関係する。 

 梅ヶ丘には母の実家があり、これが結構な資産家なのである。電気工事に関わる会社を創業した祖父により財を成した一族なのだが、まだ梅ヶ丘が今のように発展する前に付近に土地を購入しており、その土地の運用により莫大な財産を得たのだ。
 しかし、この手の成金一族によくありがちな話かもしれないが、子供達(つまり母とその兄妹達)が相続を巡り揉める事になる。

 揉め事の中身を紹介する前に、まずは登場人物から紹介しておこう。 
 まずは1人目。諸悪の根源である長男。大学卒業後は就職もせず稼業などそっちのけでバンド活動をしながら俳優だか何だかを目指していた人で一族の大問題児だ。
 つぎに次男の叔父さん。(母からすると弟に当たる)一族でも最も優秀な人で、祖父の稼業を手伝い、その発展に最も貢献した人物だ。さらに長男が巻き起こしたトラブルの数々の処理、長男がバンドの傍らでやり散らかしたビジネスの尻拭いに至るまで、一族の中でも最もしっかりしている人物だ。
 長女(2人目)が私の母親で、祖父の会社の経理を担当していた。
 次女(4人目)は当時にしては珍しく大学院まで進学した人で、卒業後に結婚して、今は神戸で暮らしている。

 問題の経緯はこうだ。
 今から8年前、どら息子だった長男が散々放蕩した挙げ句、多額の借金と自身の妻以外に2人の子供を作って帰ってきた。その尻拭いを主に次男が担当するのだが、どら息子ほど可愛いという俗説通り、祖父の場合も例外ではなかったみたいで、この放蕩息子を「こいつも改心したから」という理由で、何と会社の後継者に指名したのだ。

 当然、家業に最も貢献していた次男は抗議する。
 いや、次男だけでは無い。私の母も、次女も、親戚も皆反対したそうだ。しかし、長男可愛いさの余り、擦った揉んだの挙げ句に祖父は、何と最大の功労者である次男を会社から追い出す。
 既に会社の大黒柱的存在だった次男を追い出してまで、放蕩息子の長男を後継者に据えたのだから私も驚いた。母によると、周囲の猛烈な反対に、却って意固地になってしまい、もう誰の意見にも耳を傾けなくなってしまったそうだ。

 間もなく祖父が脳梗塞で倒れ帰らぬ人となるのだが、その後の相続で長男が祖父の筆によるものと言い張る遺書を盾に、弟妹を出し抜くようにして不動産をほぼ1人で相続する。納得の行かない他の弟妹達で結束して裁判を起こすのだが、用意周到な長男の前に、結局裁判には負けてしまう。

 そんな騒動の影響で、母が「兄の近くに居たくない」というたっての頼みもあり、私の父が58歳の時に、勤めていた会社の早期退職制度を利用し、母父妹の3人で熱海に移住。現在は向こうでカフェを経営しながら悠々自適に暮らしている。

 相続時に長男にせしめられたとはいえ、生前の祖父から贈与やら何やらの形で随分と財産を受け取っていたので余裕はある。そこで、丁度結婚したばかりの私ら夫婦が、マンションを譲り受け住ませてもらう事になったのだ。(正確には名義は母のまま)

 なお、祖父の会社は案の定、業績不振に陥り、最近、どこぞの会社と合併を進めている。

<続く>

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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