エカマイの牛肉煮込みクイッティアオ
かつては初めて日本に降り立ったときに外国人が感じるのは醤油の香りだとよく言われていた。それが日本の匂いだという。
ボクが初めてタイに来たとき、空港はまだドンムアンだけで、エジプト航空を使たからか、飛行機は直接ターミナルに接続せず、輸送バスが横づけされていた。飛行機のドアが開いて外に出ると、辺り一面、八角の匂いがした。それがボクにとってのタイの匂いだ。
タイにはパローと呼ばれる香辛料がある。福建語が語源のこの香辛料は、いわゆる五香粉という中国の混合香辛料で、シナモンやクローブ、八角などが使われる。パローを使った煮込みもまたパローと呼ばれるのだが、八角の匂いがしてきて、ボクにとってはタイに降り立ったあの日を思い出すものになる。
必ずしもパローが使われているわけではないが、タイにも煮込み料理がある。特に米粉麺のクイッティアオ食堂でその料理を見かける。今回はエカマイの老舗「ワッタナーパーニット・ヌアトゥン」を紹介する。
ワッタナーパーニット・ヌアトゥンはエカマイにある老舗食堂で、50年以上も続く。看板には郭炎松とあるのだが、これは創業者の名前だろうか。
ヌアトゥンとは牛肉の煮込みという意味だ。この店ではほかにペトゥンもあり、こっちはヤギ肉の煮込みになる。人気は牛肉の方だ。50年前だと一般的なタイ人は牛肉を好まなかったころなので、当時はかなり珍しかったのではないだろうか。
トゥンは煮込みスープを指し、店によってはパローを使うこともあるし、パローを入れない場合もある。また、パローにさらに香辛料を加える店もあるなど、様々なものがある。トゥンのスープが黒いのは主に黒醤油の使用によるもの。もちろん、これも店によって違う。パローを使うのは肉を柔らかくするためなのだが、パローがなくても肉は柔らかくできるので、とにかく店によってトゥンと言っても味が全然違うのである。
この店はパローを使っているとは言っていなかった。祖父の代から50年以上も巨大な銅鍋に注ぎ足しながら煮込み続けていて、そのスープの中には4~5種類の漢方が入っているそうだ。たぶん企業秘密で、実際にはもっといろいろ入っていると思う。
鍋の中では牛肉だけでなく、胃袋やホルモン、そして軟骨も煮込む。じっくりと煮込むことで、老人でも食べられるくらいに柔らかくなる。
これだけ歴史があるので、タイ・メディアなどでも頻繁に取り上げられている。ヌアトゥンの店は中華系タイ人の店が多いが、ここもそのようである。
店先ではこのように大きな銅鍋でじっくりと煮込みを続けている。この大きな鍋はもはやこの店の看板と言っても過言ではないくらい、外からもよく目立つ。
肉は裏の厨房で下茹でされ、順次この大鍋に投入される。それくらい、今も人気の店ということでもある。
昼時に店内が混雑するのはわかるが、それ以外の、他店ならアイドルタイムもまたこの店は客足が途絶えない。タイ人はおいしい店には足繁く通い、おいしくない店は二度と行かない。それくらいシビアなので、このように人が多いということは、客観的にもおいしいということでもある。
この店の特徴はヌアトゥンだけにあらず。牛肉でできたジューシーなルークチンも人気で、この店の手作り。しかも、肉だけのもの、軟骨を混ぜたものの2種類ある。ルークチンが混ざっている方が食感がよくて、ボク個人としてはおすすめだが、基本的にはメニューは特に指定しない限りは全部盛りになる。
全部盛りの場合、取材時の値段はクイッティアオの普通で100バーツ、大盛りで150バーツだった。牛肉という点を考えても、結構強気な料金設定だ。でも、その分のおいしさはボクも保証したい。
あとは、麺類抜きのガオラオという食べ方もある。要は、スープと具だけ。これを白米で食べる。タイ人はこの食べ方が結構好きだが、正直、ボクはご飯とヌアトゥンというか、漢方系の香辛料は合わない気がして好きではない。クイッティアオが米からできているので、合わないということはないとは思うが。
こういった時世だが、ワッタナーパーニット・ヌアトゥンはちゃんと営業しているようである。エカマイ通りは案外用事がないと行かないような通りだが、これを食べるために行くのはアリだとボクは思う。
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