見出し画像

チャオプラヤ河で働く船【土運船】

 タイの現王朝であるチャクリー王朝、前王朝のトンブリー王朝、その前のアユタヤ王朝はチャオプラヤ河のそばで発展した。チャオプラヤ河は今もバンコクやアユタヤの生活には欠かせないものであり、たくさんの船が行き交う。日本ではここまで河川が生活や経済活動の場として利用されることはないのではないか。それくらいにチャオプラヤ河は現在も存在感のある河川となっている。

 そんなチャオプラヤ河を行き交う船の中で、最近多くなってきた気がするのは非自航式の作業船だ。土砂などを運ぶ船で、土砂を運ぶものが土運船石などを運ぶ船が石運船と呼ぶらしい。

画像1

 土運船が増えてきたのは、ここ数年、バンコクを中心に不動産投資が盛んでコンドミニアム(分譲マンション)や一戸建て、商業施設などの建設などが増えたからだと見る。

 元々チャオプラヤ河は土砂が堆積しやすく、浚渫工事が頻繁に行われているようで、土砂の運び出しが昔からあったようだ。最近は、建設用の土砂を輸入しているのか輸出しているのかわからないが、このようにチャオプラヤ河を土運船が行き交う姿がより多く見られるようになった。

 建築に土が必要なものだとは知らなかった。数年前に地方の不動産投資候補地を見せてもらった際、その土地の土を掘り返すだけでは到底足りないのだと聞いた。たとえば、地方の場合、道路が元の地面より高く造る。そのときにも土砂が必要になるし、道路沿いに家を建てる場合、その道路に合わせて土地を高くしないと車の出入りができなくなるのだとか。

 それから、セメントなどにも大量の砂がいる。去年、土木関係の重機展覧会を見に行った。そのときに教えてもらったのだが、素人考えでセメントやコンクリートに使う砂は中東などの砂漠から持ってくればいいじゃない、と思いがちだが、砂漠の砂は粒が小さすぎて使うことができないのだとか。

画像7

 チャオプラヤ河を行き交う土運船はわりとアユタヤ方面から来るようだ。実際、アユタヤのまだそれほど川幅が広くないチャオプラヤを眺めていると、頻繁に土運船が走っている様子が見られる。

 土運船は前後をタイ式の小さなタグボートで曳いている。前は前進するためのボートで、うしろのボートはカーブなどで土運船が曲がるように補助している。

 チャオプラヤ河はバンコク近辺になればなるほど行き交う船が増えるので、土運船の曳航も大変だ。タイ海軍の船やバス代わりのエクスプレスボート、観光船、渡し船など、とにかくたくさんの船が航行する。とはいえ、土運船自体は航行が不自由なので、避ける必要があるのはほかの船の方なので、無茶な動きさえしなければ土運船の方が航行しやすいのだろうけれども。

画像2

 バンコク近郊を航行する土運船だが、この画像は土砂を積んでいないように見受けられる。土砂を大量に積んでいるとタイヤのある辺り、甲板ぎりぎりのラインまで沈み込んでいるからだ。

 曳航するボートはもちろんだが、土運船にも作業員が乗っている。よく見ると土運船の後部は小屋になっていて、洗濯物が干してあるのが見えることもある。ここで寝泊まりしながら目的地に向かうのだ。

画像3

 チャオプラヤ河がまっすぐであればいいのだが、アユタヤ近辺、それから河口に出る直前は曲がりくねっている。曳航するにもコツがいるだろう。

 また、この辺りはタイ最大の港であるクロントーイ港の下流になるので、小さな船が少なくなる代わりに、大型の船が行き交う。船頭はより緊張する場面になるでしょう。

画像4

 しかも、プラプラデン辺りになると、昔ながらのフェリーが渡し船として行き来する。ほぼ台船のような形状で、今にも沈んでしまいそうな古い船が大量に人とバイクと車を乗せて河を横切る。

 大型船、このフェリー、土運船、どれも機敏な動きができない船になるが、どの船の優先順位が高いのでしょうか。

画像5

 チャオプラヤを航行する土運船の目的地はおそらくいくつかあると思う。そのひとつは東部の街シーラチャーの沖合だ。レムチャバン港近辺に来る土砂を積んだ船から土砂を受け取ったり、送ったりするのだと思う。

画像6

 この画像はシーラチャーの沖合、シーチャン島の近くの無人島から見た土運船だ。渡し船に乗ったときに、この土運船の乗組員が乗り込んできたので話した。アユタヤから2~3日ほどかけて南下してきて、ここで数日待機し、また数日かけてアユタヤに戻るのだと言った

 その土運船の所有会社はアユタヤにあり、その乗組員もアユタヤの人だった。その人は愛犬を連れて乗り込み、月の大半を土運船の上で過ごしていると言った。中学生のころに船乗りに憧れたボクとしてはなんかうらやましい生活に見えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?