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ベトナム戦争が終わった場所「統一会堂」

 ベトナム南部ホーチミンの観光名所のひとつに、この「統一会堂」がある。ベトナム戦争時は大統領府兼官邸として利用されていた建物だ。1975年4月30日にベトナム戦争が終結し、南ベトナムが消滅した場所としても知られる。ぱっと見はなんてことのない大きな建物なのだが、意外と中がドラマチックに見せてくれると感じたので、なんとなく思い出深い場所になった。

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 自分でビックリしているのだが、統一会堂に来ておいてこのように正門の画像はあるのに、ボクのバックアップフォルダの中に統一会堂の建物の画像がなかった。おそらくほかの雑誌かなにかに使ったのかもしれないが、だとしたらたった1枚しか撮っていなかったなんて。

 ここはホーチミンに来るたびに最低1回は外から眺めるので、よく見る光景だから撮影しようと思わなかったのかもしれない。というのは、統一会堂はタンソンニャット国際空港から安宿街ブイビエンに向かうエアポートバスの通り道にあるからだ。

 元々の建物はかなり古くからある。フランスが1873年に建て、1945年まではのノロドン宮殿と呼ばれてフランス提督が使用していた。1955年から1975年までは独立宮殿と呼ばれ、大統領府として使用されている。しかし、そのときと今の建物は違う。1962年に爆撃で大破していて、1966年に今の形に建て替えられた。

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 現在は博物館として一般公開されている。確か1階から見て回るのだが、下の方は画像のように会議室だとか、講堂になっていた。

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 3階になると、このように中庭が見える。噴水の向こう側が正門だ。ここに1975年4月30日に北ベトナム軍の戦車が突入し、サイゴン陥落となってベトナム戦争が終結した

 この終結の日の前夜から陥落直前の米国側、南ベトナム側の様子が日本語字幕つきで動画に上がっていて見たことがあるが、みんな殺されると思っていたのか、必死になって米軍のヘリに乗ろうとする姿が見られる。

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 これは展示していた画像だ。画像の端にあるラベルに「84」という数字が見えるので、たぶんソ連製T54B式戦車「843号」とその乗組員だと思う。当初はこの843号が最初に大統領府に突入した戦車とされた。実際、最初に副門に突進したのがこっちだそうだ。

 ところが、そこで戦車が動けなくなってしまい、その隙に正門に突っ込んでいったのが中国製のT59式戦車「390号」で、今はこちらがサイゴン陥落の戦車とされているのだとか。ただ、統一会堂に北ベトナムの旗を立てたのはこの843号の隊長だという。

 ちなみに、「陥落」は米国と南ベトナム側が使う言葉で、北ベトナム軍、そして今のベトナム政府はこの瞬間を「解放」と言う。

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 これはなんだろう。映写機だったかな。全然憶えていないけれども、こういうものも展示していて、わりと隅々まで見せてくれる博物館だなという印象を受けた。ベトナムは北側、あるいは現政府の不利な部分は徹底的に見せない、あるいは誇示するが、統一会堂は敵国のものだったので、いくらでも見せてやるということなのかもしれない。

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 屋上にはヘリコプターが。ベトナム戦争映画ではおなじみのUH-1だが、映画で見るとたくさん兵士を乗せているのに、実際にはそんなに大きくない。兵士なんか4人くらいしか乗せられないのではと、展示のヘリを見るといつも思う。

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 1階から順に見ていき、最後は最上階から一気に地下まで降りたはず。上は正直あまりおもしろいものではない。しかし、地下に来るといきなり基地感が半端なく出てきて、緊張感が増してくる。

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 こういった通信機などを見ながら、当時の戦争の様子を垣間見ることができる。上と下の階のコントラストがすごくて、ベトナム国内の博物館では異色の存在だと思う。

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 最後は地下道のような通路を通って、統一会堂の裏手が出口になっていて、見学が終了する。

 統一教会は正門の向こうに大聖堂や郵便局がある。また、裏手から歩いて行ける距離にベトナム戦争証跡博物館がある。この博物館も異色で、ほかの博物館は「ベトナムすごい!」と前面に押しているが、この博物館は戦争被害を前面にしているので、ほかとは全然違った印象を受ける。

 ホーチミンにもベトナム万歳な博物館が多いが、統一会堂は南ベトナムの敗北感を間近に感じられる施設なので、一度は観ておくべきだと思う。

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