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身魂磨きとは

全ての人は、現世に生まれそして最後には必ず死を迎える事となります。
しかし、身体は滅んでも霊魂の状態となり永遠に活動する事になるので、その時までに霊魂が天界に入れる状態である必要があります。
その為に、現世で生きている間に霊魂と身体を磨く必要があります。

霊魂を磨くとは、霊魂に罪穢れや執着などの曇りなく清らかな状態に保ち大きく光輝いた魂にする事です。
しかし、この霊魂のみ磨いても、不摂生して不健康や身体を痛めつけたりしていては正しい思想を保つ事も出来なくなります。また肉体的な欲求に流されると、霊魂をも穢れ曇らす事にもなります。
そこで、霊魂の鎮まる身体を健全に健康に保ち、霊魂と身体との内外一致した生活をして、日常の様々な経験をしながら学ぶ事がこの世の目的であり行であります
この霊魂と身体の両方を磨く事を身魂磨きと言います。
人間の霊魂を守るのは「身体」であり、身体を守るのは「霊魂(心)」なのです。


身魂を磨く為には

1 正しい神様を心から信じて思う事。(信仰)
2 自身の心を改めて執着を取り去る事。
3 身体を健全に保つ事。

これらにより、次第に身魂(身体と霊魂)は磨かれて、内外(本心と言動)が一致した状態となってきます。

1.正しい神様を心から信じて思う事。(信仰)

身魂を磨く為には、正しい神様と接して親しむ事が必要になります。
それは神様を心から信じて敬い思う事であり、それにより神様からの内流が霊魂に注ぎ込まれ、その内流である神気を受ける事で自身の霊魂は祓い清められて心は正しく保たれるようになります。

今まで信仰をされなかった方や、家内に神棚を祀られていない方は、朝起きた時と夜の就寝前などに、布団の上でも良いので、姿勢を正して神様に真心込めて感謝をして、夜は感謝とその日のお詫びを申し上げるようにします。
既に神棚を祀られている場合は朝夕と神棚に向かって拝礼を行うようにします。また、高地秀ノートや Zoom、日月神示を少しずつでも継続して読む事で、神様に向く意識や思想を持続させる事がコツとなります。
これは一旦神様に対する思いが離れてしまうと、神様からの内流が薄くなり気持ちを元の状態に戻すのにまた暫くの日数を要する事となりますので、少しずつで良いので日々継続する事が大切になります。

拝礼が習慣となり、神様をしっかりと祀りたく思うようになりましたら家内に神棚を祀って拝礼を行うようにします。

※祀り方は 神様(神棚)の祀り方、 産土神の祀り方祖霊の祀り方など
 をご覧ください

※拝礼で最も大切な事は、真心を込めて拝礼をする事であり、たとえ神棚が
 無くとも真心込めての拝礼は必ず神様に相通じます。しかし反対に、立派
 に祀られた神棚の前でも心が入っていない祈りは神様には届きません。

※このように霊(心)対 霊(神)で相通じ真心で敬い祀る事を「幽斎」(ゆ
 うさい)と言い、神棚など形式的に祀る事を「顕斎」(けんさい)と言い
 ます。

本田親徳翁は「幽斎は霊をもって霊に対し、顕斎は形をもって形に対す、故に幽斎は神像宮殿なくして真神を祈る。顕斎は神像宮殿ありて衆神を祀る」と言われています。

身魂が磨かれ、思想や霊格が向上するには一足飛びという訳にはいきませんが、自身の心持ち次第で大きく変わってきます。
日々神様に接しながらコツコツと学び、そして強く真剣に神様に向かい思う事で格別な速度で身魂は向上するものです。

また、拝礼の時や時間のある時に、心を落ち着かせて「主の神様」または「大日月地大神」を意識して強く思い、「惟神霊幸倍坐世」(かむながらたまちはえませ)と言って、「神様からの光と愛が自身に降り注いで包まれている」というようにイメージして数分間ほど集中するようにします。
これで、神様の内流を受け、自身の祓いにもなります。
※ これは通勤等のバスや電車の中、休憩中など時間のある時、また霊現象や
     心の不安がある時などに心を落ち着かせて行うと良いです。

2・自身の心を改めて執着を取り去る事。

執着とは、一般的に思われている「人や物事などに対して必要以上に思いが固執して、重く悪く不浄」な印象を持たれているかと思います。
そして、自分にはそれら執着は無いと皆さん思われていますが、ここで言う執着とは一般に思われている執着とは少し異なり「過去にやり残した事、失敗して後悔している事など、心残りや深い悲しみ、怨み、憎しみや様々な後悔など」記憶と共に、心に何らかしらの思いや感情、また無意識での感情が残っている事を執着と言っています。

自身の様々な出来事は頭脳で記憶され、この記憶に関連した感情は魂(心)に刻み込まれ残っているのです。特に自身が生死に係わるような恐怖な出来事、強く激しく動揺した(心動いた)出来事などは強く魂に刻み込まれています。

これら嫌な記憶や感情を忘れ去ろうと心に蓋をして思い出さないようにしても、頭脳の記憶は次第に思い出さなくもなりますが、魂に強くこびり付いた感情の記憶(執着)は自然に消える事が殆どなく残っていますので、自身では自覚が無くとも日常において潜在的に心に影響を及ぼしてしまうのです。

この感情の強弱はありますが、強い場合が一般的に言われているトラウマやPTSD等となります。

また、思春期などの恋愛や何かに熱中して強く執着している最中に、同時期に別の心に残る事や執着があった場合は、より強く執着された感情が魂の表面を覆い、軽度の執着はその奥に隠れる事になって表には出てきません。
つまり強く執着した時期が長ければ、その期間中に軽度に執着した出来事は奥に隠れてそのまま残ってしまうという事になります。

人間の就寝中は、完全ではないが肉体的活動は休止されますが、この時霊魂は肉体的意識から離れて霊的活動が主になりますので、自分では直接被害を受けずに感情が動かなかったような軽度の事故や事件などの目撃や、隣人の出来事など頭脳での記憶の場合は、就寝により外分である肉体的頭脳の記憶から離れて霊的意識になるので、就寝前の日中の出来事などの感情や記憶は薄れてきます。

また、「肉体的に直接痛みや苦痛・恐怖などの被害」などを受けた場合や「自らの過ち」や「過度の出来事、強い願望や欲望、恨みや憎しみ辛み」などは就寝しても消え難く御魂に強く残り易くなります。
これら御魂に残る強い感情や罪穢れの事を執着と言います。

この、自らの霊魂を曇らせている執着を取り除く事は、身魂磨きの一環で霊魂の掃除であり身魂磨きを行う為の準備ともいえます。

※これら執着を取り除く為には「浮心法」(うしんほう)と「火の鎮魂」を適切に行うことが大変有効的となります。

厳瑞


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