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ブラックのコーヒーを初めて美味しいと思った日

札幌市民はコーヒー好きが多いらしい。
札幌に住んで以来あまり意識したことはなかったが、いわれてみればこれまで住んでいた場所で、徒歩5分圏内に喫茶店のない場所はなかった。厚別区の住宅街の真ん中に住んでいた頃ですら、すぐ近所にカフェチェーンがあって多くの客が入っていた。

札幌市民のコーヒー好きは、昭和の中ほどに自家焙煎の喫茶店の名店ができて以来だとか。

また、札幌は洋菓子店も多いので、市民は必然的にコーヒーをつける習性もありそうだ。


私が美味しいコーヒーの味を覚えたのは、札幌に来る前の話だ。
その時の「冒険」の話をしよう。

子供の頃、コーヒーといえば、ミルクにインスタントコーヒーと砂糖を溶かしたものだった。あと北海道民といえば雪印コーヒー。
子供の私にとって、コーヒーはミルクと砂糖があって飲めるものだった。

初めて入った喫茶店は、函館市の富岡町にある「巴山」だ。
私の産まれる前には既にそこにあったようで、私の記憶の中に残る最初の記憶(幼稚園児か小1頃だと思う)でも既にシブい雰囲気を放っていた。

母が隣のスーパーによく買い物に行っていたので、店の存在自体はかなり昔から認識していたけれど、初めて入ったのはたぶん小2か小3頃だろう。多少は大人しくできる年齢になってからだ。

扉が閉まった途端、店の前の幹線道路の喧騒が嘘のように消え失せ、目の前には昭和の純喫茶ならではの上品なセピア色の風景が広がった。

意外に大きな店構えで、エリアが3つか4つあったと記憶している。そこに客のタバコの煙が揺蕩っていた。

親に連れられて来るので座るのは当然テーブル席だ。
「インベーダーゲーム」テーブルもあり、子供としてはゲームをしなくても特別感を得たくてそのテーブルに座ってみたかったが、残念ながらこの時は先客がいた。

この日食べたのははっきり覚えていないが、ナポリタンとクリームソーダのどちらかだと思う。小学生の頃に来たのは2、3回で、子供にはそのくらいしか口に合うものもなかったと思う。

私が巴山でコーヒーの味を覚えるのは、それからしばらく後のことだった。


私は函館市内の高校に進学しているが、入学して間もなく郊外に引っ越したので、家は富岡からは遠くなってしまった。

が、実は近隣に親戚が住んでいたこともあって、この地と縁が切れていたわけでもなかった。

ある日、私は巴山の近くまで来た時、どういう経緯かは忘れたが「巴山に入ってみよう」と思ったのだ。
この辺りに来た経緯はあまり覚えていないが、たぶん当初は親戚宅へのアポ無し訪問をするつもりだったんだと思う。今の私なら後ろから飛び蹴りしてでも止める程度の迷惑行為ではある。

巴山の外壁には「本日のコーヒー」を曜日ごとに変えて出している旨の看板があった。幼稚園〜小学校低学年の頃はそれが何を指しているか知らずに、「モカ」「キリマンジャロ」の名前だけを覚えた。歳をとるにつれて豆の種類だということは理解したが、残念ながら今でもどれがどんな味かわかっていない。
あと、添えられていた値段も子供の目からすれば相当な値の張るものにみえた。

そんな大人の(そしてお金持ち?の)空間に高校生が入っていいのか。もっとカジュアルな喫茶店なら他にある中で、敢えての純喫茶だ。

私は、緊張しながらドアを開けた。


夕方という時間のせいか、またはタバコの改良で煙の煙が少ないのが普通になったからか、記憶していた店内のイメージより店内の風景はクリアだった。

入口寄り、サイフォンの並ぶカウンターの横で、マスターと思しき紳士がコーヒーの準備をしているのを見た。子供の頃は、気が付かなかったというよりは興味もなかったんだと思う。
今回は「コーヒーを飲みに来た」のだ。だからみえた景色も異なるのだろう。
また、店内は昔の記憶よりは明るかった。

座席は、子供の頃に座ったあのテーブル席だ。最初からそちらに通されたような気がする。
インベーダーゲームのテーブルではない。まだそのテーブルがあったかどうかは覚えてないが(笑)。

今は、高校生の大冒険の真っ最中である。メニューのコーヒーの欄を見た。
選ぶのは早々に諦めた。選べるはずがなかった。
それで、一番「無難」であろう、ブレンドコーヒーをオーダーした。

今なら知っている。ブレンドコーヒーとは「店の顔」であって、決して「無難」ではないことを。 

この歳ならファストフード店のコーヒーくらいなら飲んだことはあったが、そういうのは砂糖とクリームをしっかり入れて飲んでいた。そもそも当時は紅茶派だったので好んで選んでもいなかった。
そんな私だったが、この時はブレンドの最初のひと口を何も入れずに飲んでみたのだ。

コーヒーの味ははっきり覚えていないが、最初の一口の感想なら覚えている。

「なんだか、甘い」
そして
「コーヒーの褒め言葉の『雑味がない』ってこういうことなのか」

コーヒーには味のバランスがある。よくいわれるのはコク、苦味、甘み、酸味だろうか。このバランスがとれた美味いコーヒーというものを、私は初めてここで飲んだのだ。

さすがにこの後、砂糖やクリームは入れたように思う。ただ、この時点では「何も入れなくても美味しいコーヒー」の存在を認識できただけで上出来だった。本格的にブラック(で無糖)に移行するのは、社会人になって以降のことになる。


最近、遂に家にドリッパーが導入されてしまった。
もっとも、ここ数年はドリップバッグのコーヒー購入が増えていたので、「粉を買ってドリッパーで淹れる」というステップアップはある意味約束されたものではあった。

そしてコーヒーのロースターが集まるイベントにまで足を運んでしまい、「どこまで行く気なのか…」と我ながら呆れているところはある。

家ではコーヒーはほとんどブラックで飲んでいる。それができるようになったのは、私がブラックで飲める味のコーヒーについて傾向が読めてきたからでもある。(実は好みの範囲が狭いこともわかってきた。)

今そんな風に楽しめるのも、かつて背伸びして飲んだコーヒーのお陰だと思う。「コーヒーは美味い」という経験を積んでなければ、その後喫茶店でコーヒーを積極的に飲むようにならなかっただろうから。

…どうやら2023年、巴山が50周年を迎えていたらしい。今でも現役で函館市民の舌を楽しませているのは嬉しいと思う。

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