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感情と感情的は異なる

小林製薬の紅麹製品による健康被害について、まず真相究明に行きつくことと、亡くなった方へのご冥福および治療中の方の快癒をお祈りします。

2024/4/13時点のニュース記事において、ようやく原因に繋がる情報がみえてきた風に書かれています。しかしここまで時間をかけざるを得ない状況、調査にあたる人々も大変なのだろうと想像するところです。

私も小林製薬の製品を色々使っている関係から(サプリメントは使ったことはありませんが)、小林製薬が対応する姿勢であることに安堵しつつ、原因を究明して現在の生産ラインで再現させずに済み(当時生産していた工場は閉鎖されているが、これは一昨年から決まっており全くの偶然)、今回の原因ではなかった紅麹の名誉が回復されることも願っています。

問題の解決と被害者救済と、再発防止その他いろいろやって業績を戻すまでがんばれ、という意味合いでは「がんばれ小林製薬」ではあるのですが、自然派や陰謀論界隈はそういう意味で「がんばれ」とは言っていない状況があります。

「紅麹が万能だから国が潰そうとしている」
「ワクチン製造を断った小林製薬を潰そうとしている」

紅麹はそこまで万能な存在でもないし、小林製薬は医師・薬剤師が扱う医薬品(医療用医薬品)は製造していないので、ワクチン製造を依頼されることがあり得ません。

こういう道理が通らない「がんばれ」は望ましいものではないでしょう。


「小林製薬がんばれ」の気持ちと「小林製薬の製品に問題があった」という事実は、異なる次元にあるものです。

「感情」と「事実」は同一の軸の上にはありません。

今回は「感情」のうち、「好きか嫌いか」を判断する部分にスポットを当てます。

「好悪」は軸に、左右に「好き」と「嫌い」を置いてみます。

好悪の軸

「事実」は「事実」でしかありません。
ただ人間がそれを見ると、多かれ少なかれその人の思考によるバイアスがかかります。そのバイアスがかかり具合でどの程度まで「事実ベース」で考えられるか変わってきます。

「物事の捉え方」という軸を作り、「事実ベース」の反対側に「感情ベース」を置くと実情に沿うでしょう。

ちなみに、感情と事実のどちらをベースにとるかは、皆どのテーマによってかで変わりますね。そのブレは仕方がない。にんげんだもの。

物事の捉え方

先の「小林製薬には瑕疵がないので応援する」というのは「感情ベース」が行き過ぎた、感情論でしかありません。

私はこの辺りにいそうです。

十字の上下左右はこういう見方になるでしょうか。

事実ベースの方は再起が可能かどうかを見ますが、この時の態度が左右に分かれます。
右下の人の中には、他のサプリメントを飲んでいて、今後同じような被害が起きないように原因究明されて欲しいという思いを持つ人もいるでしょう。

ただ現状において、小林製薬の健康食品については、そのずさんな製造管理さがみえてきたので復活は厳しいと考える人多いのではないでしょうか。このあたりは好き嫌い関係ない話です。

一方、感情ベースでは、製品の成分や製造管理そのものと態度の決め方には関係がありません。
ただ人を傷つけたから嫌いか。ただ会社が責められている様子を見るのが嫌いか。
それを示すための傍証として、紅麹そのものの効用やずさんな製造管理などを引用する形になるならば、ベースは「感情論」でしかありません。

ただ、今回はたくさんの人々の生命にかかわる案件ですので、「潰れてしまえ」と思うことは当然のことです。特に身近な人が傷つけられたならば尚の事ですよね。
そういう意味では、本当に表の左上ギリギリにプロットされることはあまりなく、嫌う事実が先にあったからこそ「潰れてしまえ」とヒートアップしている人がほとんどでしょう。

「嫌い」で気をつけるべきは、理由なく嫌う「毛嫌い」の場合しかないのかもしれません。これこそ左上ギリギリの立場となります。

好き嫌いの感情と感情論は異なります。
好きという感情は、事実が許されるものか否かと全く別に考えるべきだと思います。

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