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少女は瓦礫の道をゆく  4.奇妙な求人

 年明けのコーヒーショップには、まだ松の内であるにもかかわらず景気のわるい男たちの顔が並んでいた。
「“一年の計は金杯にあり”…か。どうやら今年もパッとしない一年になりそうだな」
 キャップをかぶった男――小柴はいちばん安いブレンドコーヒーを音をさせてすすった。
「結局、ツキがないってことだろ。これまでもこの先も…」
 黒ジャンパーの男――坂巻は浮かない顔をして言った。口には火の点いていない煙草をくわえている。
「まあ、俺たちらしいって言えば、らしいけどな」小柴は丸めた競馬新聞をテーブルの上に放り投げた。
「勝っても負けても一杯やるのがルールだろ。どうして俺たちはこんなところにいるんだ?」
「その金がないってことだな。これだけ大負けすると」小柴は溜め息を吐いた。
「お前、年末に当てた分はどうしたんだ?」
「使っちまったよ。借金を返して、残りは正月にちょっと派手に飲み食いして終わりだ」
「相変わらずろくでなしだな」
「お前に言われたかないよ」
 小柴はそう言って軽く伸びをしてからまわりを見回し、テーブルに顔を近づけて小声になった。
「それでだな、ちょっとウマい話があるんだ」
「なんだよ、急に」坂巻も自然とテーブルに顔を寄せる。
「求人なんだけどな、これ見てみろよ」
 小柴は求人雑誌を取り出してページをめくった。大きく折り目のついた箇所を指さし、坂巻に渡す。坂巻は赤ペンで丸く囲ってある募集広告に目を通した。
「ずいぶんいい条件じゃないか」
「だろ。ちょっと怪しいニオイもするけどな」
 小柴が鈍く目を光らせた。何かわる巧みに頭を働かせているときにする顔だ。
「【競走馬の搬送に関わる業務。年齢経験資格不問。一ヶ月の住み込み契約で、地方出張あり。報酬は契約終了時に支払われるが、期間内の住居・食事は無償で提供、その他雑費は実費で支給】ときたもんだ」
「適格者には長期延長もありか、わるくないな」
「だろ。うまくすればタダ飯食らいながら長く働けるってことだ」
「働いてるんだからタダではないだろ」
「細かいことは言うな」
「この【馬の好きな方】というのはどういう意味なんだろうな」坂巻が募集広告の一文を指して言った。
「競走馬って言うくらいだから、競馬に関心があることは必須だろうな。動物が好きなヤツってことかもしれない。まあ、仕事だから馬券に熱心なヤツって意味じゃないと思うが」
「経験とか資格はいらないんだな。馬に直接触れるわけではないのか」
「そのへんのところは実際にいてみないとわからないけどな。当たってみる価値はありそうだろ。なんと言っても報酬が普通じゃない」
 小柴の言う通り、提示されている額は法外ともいえるものだった。
「そうだな。今の仕事の契約も切れるし、ちょうどいいかもしれない」坂巻は火の点いていない煙草をくわえ直した。「いかがわしさがないでもないが、思い切って応募してみるか」
「そうしよう。ひょっとしたらこれで俺たちのツキも変わるかもしれないしな」
 小柴がまた目を光らせた。こいつのこういうところには気をつけないとな――坂巻はそう思いながらも話に乗ってみる気になっていた。

 坂巻と小柴の二人は、ここが首都の中心かと目を疑うほどひっそりとした住宅地の中を歩いていた。求人広告の住所は都心の一等地にある個人宅を示していたのだ。
「こんなところで人を募集してるのかよ」
 小柴は地図を見ながら、道の両側を囲う背の高い塀を見上げた。
「普通の会社じゃないかもな。馬がらみだし、金持ちの邸宅ってところかもしれない」
 坂巻もまわりの様子を窺う。先に進むほど道幅が細くなり、路地のようになってゆく。無表情にそそり立つコンクリートの塀と、その上に覗く木々の緑が不気味な静けさを醸し出している。
「おい、あのあたりらしいぞ」
 小柴が指した方角には鬱蒼と生い茂る緑があった。常緑樹の森なのか、冬なのに向こう側が見えないほど樹木が密生している。いくつもの枝葉が折り重なり深く濃い陰影を作り出している様は、一種異様な厳粛ささえ漂わせていた。その一帯を囲うように竹で作られた背の低い塀が長く続いており、目当ての求人宅はその中にあるようだった。
「ずいぶん雰囲気のあるところだな」小柴が言った。心なしか声が緊張している。「なんだか場違いな気がしてきたよ」
「ここらでこれだけの広い敷地ってことは、相当の資産家かもしれないな」坂巻も奇妙に気分が高ぶってくるのを感じた。「普段なら俺たちが出入りするようなところじゃないのは確かだ」
「やめておくか」
「ここまで来てそれはないだろう」坂巻は竹塀の一角にしつらえられた木戸を指さした。「どうやらあそこが入り口らしいぞ」
「正門じゃないのか」
「御用聞きが出入りする勝手口みたいなものかもな。俺たちみたいなのが正面から入るのはおかしいだろう。ここでいいんだよきっと」
 そう言って坂巻は木戸の脇のインターホンを押した。数分、いやそれよりも長い時間だったかもしれないが、かなりの間を置いて返事があった。抑揚のない女性の声だった。
「どなたですか」
「あの、求人募集を見て来た者です。先ほどお電話しました…」
 坂巻が名乗ると、また少し間を置いて返事があった。
「どうぞ、お入り下さい」
 小さな電子音のような音がして、木戸が内側に少し開いた。坂巻と小柴は息を飲んで顔を見合わせると、小さく頷いて木戸を押した。

(つづく)

Photo by Michal Parzuchowski on Unsplash

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