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言うべきか言わざるべきか、の判断の難しさ

例えば、ゴミをポイ捨てする人を見て、注意するかどうか。
家族や友人だったら、注意する・・・人も多いのでは。
自分の子どもだったら、迷わず叱る・・・とか。
赤の他人だったら・・・?

その人のこの先の行動について、どこまでガイドするのか、というのは、教員にとって、とても難しいことなのではないだろうか。
いや、教員だけではありませんね。
社会人として働く仲間、後輩に対しても・・・
もちろん、教員が自分の同僚である他の教員に対しても・・・

人とのコミュニケーションにおいて。
生活の様子について。
言動について。
物事(仕事とか課題とか)の段取りについて。

これらのほとんどはね、何も「人に迷惑をかけてやる」というつもりは全くないんですよ。でも、「うーん、それは配慮が足りないよ」「それは言うべきではないよ」「周りの人がどう思うか気にした方がいいよ」などなど、長い目で見て、「周りの人に応援されるかどうか」の分かれ目になるようなこと。

「ほっとけ」という考えもあると思います。
周りに合わせることが第一優先でもないです。

しかしながら、人間、誰しも、誰かと関わる社会の中に生きています。

難しいんですよね。
注意する、というのは同時に、「注意している自分はちゃんとしているのか」という批判に常に晒されることでもあります。
というか、自分の言うことは正しいのか、とか・・・
そうこうしているうちに、言うタイミングは逃してしまう。

「こう信じるからこう言うのだ!」

迷いなく突き進める強さは、羨ましくもある一方で、視野の狭さの危険性も伴います。

他人の行動を変えようとするなんておこがましい、という遠慮の気持ちとも常に隣り合わせです。

だから、教育って難しい・・・

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