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ハヤシライス味のコショウ

神奈川県の高校を卒業後、仙台の大学に進学した。18年間育った神奈川県(横浜ではない)を離れるのはそれなりに寂しかったけれど、歳の離れた弟に部屋を明け渡すのは割と清々しかったし、新天地で一花咲かせてやろうくらいの気持ちで上仙した。2011年5月のことだった。本当は4月の予定だった。

3万円ちょいの、入部する予定の部活の借り上げアパート。2階の角部屋の一つ手前。角部屋と、わたしの部屋を挟んだ逆隣には、同期の女の子が入居することになっていた。(角部屋の208に同期①、207がわたしで206に同期②、のような。)

彼女たちが入居する少し前(1週間前くらいだったと思う)から一足早く入居していたわたしは、引っ越しの片付けもままならないうちに、初めての「(一人暮らしにおける)自炊」を企てていた。

自分のためだけに料理する、自由。

実家に住んでいた頃も、たまにカレーをつくったりお弁当をつくったり、全く料理経験がなかったわけではない。うまいとは到底言い難かったけれど、家庭科の授業は好きだったし、カレーも(カレールーを使っていいなら)片目をつぶったままでもつくれるくらいには定期的につくってきた。バレンタインデーの(大量の)チョコレートも(母の手を借りまくったけれど)それなりにつくってきた。

それでも、仙台のアパート、コックピットみたいに狭いキッチンで、自分だけのために料理をつくるのはとてもワクワクした。高校時代に憧れていたFrancfrancで食器を買って(高校生のわたしにはちょっと単価が高かった)、いつ使うのかわからないような中途半端なサイズ感の器にも、ここにちょっとしたサラダなんかを入れるんだ! と愛を囁いていた気がする。(食器を洗うのが面倒になり、ワンプレートで済ますようになる1ヶ月後のことは、この頃は知る由もない。)

ハヤシライスが食べたかった、なぜか。

15分くらい歩いたところにあるヨークベニマルで、オーストラリア産の牛肉を少しと玉ねぎを3玉、マッシュルームにハヤシライスのルーをカゴに入れて、目指すは調味料コーナー。

塩、コショウ、砂糖、味噌、醤油、みりん、料理酒。実家のキッチンにあったものをなんとなく思い出しながらレジに向かう。その日はハヤシライスの予定だったので、使わない調味料が大半だけど、そのうち使うことになるだろう…と重い袋を手に帰路に着く。

一人暮らし初日に、なぜハヤシライスをつくろうとしたのかは謎。カレーの方が好きだし、子どもの頃はハヤシライスが食卓に上がると「カレーがよかったのに…」と最低な一言を吐く始末だったのだけど、なんとなく大人の食べ物のような気がしたんだと思う。たぶん。

コショウが全然出てこない。

まずは玉ねぎを刻む。薄切りでゆっくり炒めるのが好きだったから薄切りで。リズムに乗って3玉とも手にかけてしまった。玉ねぎたっぷりのハヤシライスだ。

塩を入れて炒め始める。しんなりしてきたらコショウも……。なぜかコショウが全然出ない。よく見たら中蓋の下の栓がされたまま。

「なーんだ、そりゃ出ないわ」と(独り言を言ってはないけど)栓を取り、中蓋をつけて気を取り直して鍋の上で逆さにするも、出ない。炒められた玉ねぎはさらにしんなりしてきて「コショウはまだかしら?」「待ちくたびれたわ」と湯気を上げている。

「中蓋を締めすぎて空気が入らないのでは?」

中蓋をゆるめる。少しずつコショウが出てきた。3玉の玉ねぎをピリッとさせるにはほど少ない量。「それじゃ全然足りないわよ」「こちらにもふりかけなさって」玉ねぎの姉貴に頼まれちゃ仕方ない。わたしはさらに中蓋をゆるめた。

ボトッ、ズサササササササー

中蓋が取れて、玉ねぎの中に落ちた。堰を切ったように流れ出るコショウ。コショウの山を見たことがあるだろうか? わたしは、ある。玉ねぎの中に広がるコショウ。湯気とともに上がってくるスパイシーな香り。修復は不可能だ。鍋に入ってしまったコショウをスプーンかお玉ですくったりすればよかったと、今となっては思うけど、当時のわたしは「ああ、辛いハヤシライスになっちゃうなあ」という割とニュートラルな感情で、ほとんど中身の残ってない瓶を握りながら、玉ねぎをかき混ぜるのだった。

玉ねぎ炒め(もとい、コショウ炒め)に牛肉を加えてハヤシライスを仕上げていく。完成したそれは、20分前の事件など思い出させない見た目をしている。とてもおいしそうだ。新しい炊飯器がピーピー鳴っている。お米の準備も完璧だ。

味見をしたら現実に引き戻されると確信していたので、味見はしないまま装い、食卓に運ぶ。ちょっとスパイシーな香り。

意を決して一口。紛れもなくコショウだった。これはハヤシライス味のコショウだ。一口でごはん一杯食べれる(一口食べ切るためにご飯が一杯必要)コスパおかずだった。

それから1週間、寝ても覚めてもコショウ味のハヤシライスだった。鍋の底が見えてきた頃、隣に同期が入居してきた。

コショウの味を知る

それから、ハヤシライスをつくる度に、コショウを入れすぎたあの日のことを思い出して、楽しくなる。

玉ねぎとコショウにごめんねを唱えて捨てることもできたし、正直言っておいしいやまずいを超えた、食べ物として意に入れてはいけなかったかもしれないけれど(それが原因か分からないが、胃が荒れた一週間だった)あの時コショウを入れすぎなければ、コショウ本来の味を知ることはなかったので(それが今後の役に立とうが立つまいが)一人暮らし初日にコショウを一瓶空にした18歳のわたしには感謝している。

その後恐る恐るつくったスープパスタは、病院の回復食みたいに味がしなかった。“おいしい” をつくるのは、けっこう難しいのだ。

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