見出し画像

ひとり山歩き

京王線分倍河原駅で、高尾行の電車を待っていた。
晩秋の冷たい風が、却って心地よかった。
初めての単独登山。少し興奮している。
登山といっても、日帰りで登り下りできる低山に行くことがほとんどだ。いつも誰かと一緒だが、今回は一人で行ってみようと思った。単純にスケジュールを合わせるのが面倒だったこともあるし、思い立ったのが1週間前だったのもある。
私は登るペースが遅いこともあり、人と一緒であると少し無理しなければならない。自分のペースで登れば良いのだけれど、それも何かと気を遣ってしまうものだ。

しばらくすると電車は来た。
3連休の初日。覚悟はしていたが、予想以上に混んでいた。色とりどりの登山ウェアに身を包んだ叔父様、叔母様方。若い人も、小さい子供も。みんなが山を目指していると思うと、嬉しくて突然話しかけたくなる。もちろんそんなことはしないが。
“座れないときついな。”そう思ったが仕方ない。車窓を眺めていると、そんな思いもすぐに消える。どんどん家々が少なくなり、景色が山深くなっていく。
思い立ったが吉日とはこのことだ、と思う。
高尾駅で中央本線に乗り換え、藤野駅へ。
そう、目指すは陣馬山!

藤野駅から出ているバスに乗り、15分程経つと登山口付近のバス停に到着。意外と登る場所はみんなばらばらで、同じバス停で降りたのは数人だった。
よーし。
気合いを入れて歩いていたが、登山口をつい通り過ぎてしまう。周りに誰もいなくなったことに気付き、慌てて折り返して登山口へ。多少注意力が足りないことも、単独登山を遠ざけていた。
でも何てことはない。来てみればどうにかなるものだ。

早速急な上り坂。
山道はこういうパターンが多い気がしている。
序盤で勾配のきつい上り、途中で割と平坦、でもたまに緩く下る。せっかく登ったのに!と思っていると、最後にまた急な上り坂。
そんな山道を歩いていると、よく人生が山道に例えられる由縁なんだろうな、と思う。
無心で登りたいところだが、大体とりとめのないことが頭を堂々巡りする。

“何であんなこと言っちゃったんだろ。あれがなければ今頃…”
その日はそんなことを考えていた。
もう会えないだろう人のことを。
言わなくていいことを言ってしまう癖は、何度人を傷付け、その度反省しても変わらない。素直になれば簡単なことも、遠回しにしか言えなくて事態を難しくしてしまう。

とても音楽の趣味が合う人だった。
世代が違うのに好きな音楽は同じものが多く、不思議な親近感があった。でもそれ以外は何を考えているのか分からない人だった。
だけど好きになってしまった。
私たちはどうこうなるには難しい、そう思ってたのに。

“結局自己満だな。”
自分に言い聞かせているうちに、考えること自体が面倒になる。いつも結論は分からないまま考えるのを止めてしまう。だから悪い癖が直らないのだろうか。それとも誰しもそういうものなのだろうか。
歳を重ねても、分からないものは分からない。それだけは分かってきた。

自分の足元を見ながら歩くのが好きだ。
当たり前だけど、自分の足で歩いていることがよく分かる。土の匂いがする。
山を歩いているのに勿体なくなって、見上げてみる。覆い被さるように立ち並ぶ木々。太陽に照らされてきらきらしている。
綺麗で、しばらく立ちすくんでしまう。

更にまたしばらく歩くと、視界が開き、気持ちの良い燦燦とした青い空が拡がった。
うわー!
頂上に向かって、少し疲れた足を動かす。
最後は階段。これがまたきつい。
でももうすぐ!
一気に登る。
大きな白い馬のオブジェが目に飛び込んできた。
着いた~!

ゆっくりと辺りを見回す。
どこからどう見ても天気が良い。
最高に気持ちがいい。
色んな気持ちがどこかへ飛んで行った。というかぶん投げた。
月並みだけど、山はやっぱり頂上が良い。
山登りをする人には、道中の花を見るのが好きな人、とにかく速い時間で登りたい人、写真を撮るのが好きな人、等々。様々な楽しみ方をする人がいる。
私のそれは頂上だ。
澄んだ空気を吸い込み、再確認。

一通り頂上をぶらぶら歩いていると、色んな登山者がいる。
友達同士、恋人同士、家族。
私はひとり。
そんなことはどうでもいい。
孤独じゃないひとりだ。

売店でビールを買うと、先月の台風で通行止めになった道を売店のおじさんが教えてくれた。方向音痴の私。よく分からない顔をしていたようで、ご丁寧に地図をくれた。なんて良い人、と単純に感動。
売店のテーブルがある席に座り、今回のために調達したシングルバーナーと鍋、カップを取り出す。お湯を沸かしてカップヌードルとコーヒーを作る。
ただそれだけ。
でも山でやるそれは、ワンルームの部屋でやるそれとは別物だ。

ソロキャンプに行くのが好きだった友達のことを思い出す。無駄なことを省こうとする人が苦手だと言っていたっけ。
最近になってその気持ちが分かる気がする。
ひとりの気ままな時間。
何も考えなくても良い時間。
考え続けるのは大変で、飽きてしまえばいいのだと分かる時間。
私はそれを求めているのかもしれない。
というか、山に登ることに理由なんていらないのか。

ズルズルとカップヌードルをすすっていたら、向かいの席にもおひとり様。その人は慣れた手つきで料理を始めた。ジップロックに入れてあるカット野菜とウインナーを、スープで煮ているようだ。
美味しそうな匂い。
食べ終わって、コーヒーを飲み終わっても、ついつい目がいってしまう。
いけないいけない。
見とれていないで下山だ。

台風の影響は深刻で、あちこち通行止めとなっており、結果景信山も縦走。初めてだったが、山の稜線がきれいに見えた。霞がかっていたけれど、すっきりと晴れると富士山も見えるらしい。リベンジの価値ありだ。
下山してバスを待っていると、足の疲労がピークに達していた。気持ちの良い疲れだ。
高校生の頃、バスケ部の練習で感じたやつだ。あの頃は練習が嫌で仕方なかったけれど、今となっては同じような疲れを心地よく感じている。
色んな経験が回りまわって、嫌いを好きになるのだから面白い。

また山に来よう。
帰りのバスに揺られながら思う。
その時にはどんな気持ちだろうか。
また考えても仕方のないことの堂々巡りだろうか。それとも考えるようなことはない、あっけらかんとした状態だろうか。
いずれにしても、壮大な山の前では全てがどうでもよくなるんだろうな。
そんなことを思いながら、意識が遠のく。
しばしの眠りから覚めると駅に着いていた。
さあ、家に帰ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?