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先輩

「あー。なんか泣いちゃったよ。」
隣で涙を堪えようとしている私に言うから、不意に安心する。
「私もやばかったです。」
泣いたことへの恥ずかしさを隠すようにして、先輩と私は喋りながらバランスをとる。

日が暮れそうになっている、野外ステージでのチャットモンチー。
最後に歌ったmajority blues。

my majority
みんなと同じものが欲しい だけど
majority minority
みんなと違うものも欲しい

「そんなこと思ってた頃あったなって。」
先輩が言う。
本当は今でもたまに思ってしまうけど。
「あー、ありましたよね。同じ四国から来たから、飛行機で70分で東京近いと思いましたよ、そういえば。」
「まさにだね。チャットはさ、ずっと新しいことやってるから凄いよね。」
「いやあ本当に。メカットモンチー。録音してる感じなんですかね?」
「録音して、音重ねる感じなのかねー。」
チャットモンチーのステージに向かう途中、今をときめくガールズバンドのステージがある、反対方向へ向かう若者たちとすれ違ったのを思い出した。多くの人がバンドTシャツを着ており、その笑顔は眩しかった。
「私達はチャット世代ですよね。」
「完全にそうだね。今のコにとったらあっちが私たちのチャットなのかもね。」
「あー。いや全然バンドが違う気がしますね。」
「そりゃそうだろ。」

先輩と出会ったのは、新卒で入社した会社だった。部署は違ったけど、仕事で関わることが多かった。
ある日突然、飲みに来ない?と自宅に誘ってくれた。
普段なら断るのに、仕事量の多さと人間関係に疲れていたこともあり、憂さ晴らししたい気持ちで、初めて先輩の家を訪ねた。


ブラウン調で取り揃えられた家具。
壁にはラックがいくつも並んでおり、よく分からないけど、色鮮やかなジャケットのCDが飾られていた。部屋はきれいに片付いており、仕事の丁寧さも納得がいった。
既に先輩と同じ部署のメンバーが集まっていた。
スーパーで買ってきた缶ビールで乾杯する。
あまり話したことのない人達に囲まれて、恐縮してしまう私。
「おいおい、つまんないよー。」
と言いながらも、先輩は私が馴染めるように、上手に場の雰囲気を作ってくれた。


その日を皮切りに、本当によく飲みに行った。
私たちの職場は休みがばらばらだったが、先輩と私をはじめ、飲むメンバーの多くは火曜日が休みだった。そのため飲みに行くのはもっぱら月曜。
土曜休みのメンバーには「魔の月曜日」と言われていた。

「くだらないことが1番大事なんだよ~」
酔っぱらいながら話す先輩。
実際に、飲みの席の話題はくだらないことばかりだった。
その時はピンと来なかったが、だんだんと先輩が言っていたことが分かるようになった。
くだらないことを喋れる関係性は、人生を生きていく上で、ないと立っていられなくなることがある。
酔っぱらっては植え込みに吐いたり、私は私でトイレから立てずに出られなくなったり。
お店の人にとっては迷惑極まりなかったが、楽しい日々だった。

「何の音楽聴くの?」
そう聞かれたことが今ではきっかけになったと思っている。
「チャットとか好きです。あとは銀杏とか。」
「えー、私絵莉子の真似して髪伸ばしてるんだよ。」
「何ですかそれ。でも絵莉子良いですよねえ。」
「チャット好きならフジ(ファブリック)好きだよ。聴いてみなよ。」
数日後、CHRONICLEというアルバムを貸してくれた。
そこからはもうフジファブリックに夢中になった。志村正彦が死んでしまっているということが悲しく、過去の映像を探しては見ることが習慣になった。
アルバムも全て買い、繰り返し聴いた。
奇抜な曲調に、不器用な歌詞。
キーボードが入っているバンドが好きなことにも気付いた。
Chocolate Panicのような、へんてこな歌があるところも好きだった。
先輩は、パッション・フルーツが好きだと言った。
先輩が1番好きなバンドはくるりで、志村が死んだことがニュースになった日、丁度くるりのライブに行っていた。そこで岸田は友達に贈ると言って、ロックンロールを歌っていたんだと教えてくれた。
それから先輩は、SAKEROCK、ハナレグミ、クラムボン、andymori、スーパーカー、Fishamansなどなど。
たくさんの音楽を教えてくれた。

それから2年くらいして、飲む機会が徐々に減っていた頃。
先輩は会社を辞めた。
何ヵ月かは仕事をしないまま過ごしていたそうだ。辞めてから半年程経って、東京で仕事をすると連絡をくれた。
それからしばらく会うことはなかった。
私は先輩が辞めてから1年後に転職した。
上京したことを連絡すると、私たちはまた飲むようになった。東京ではしごすることを覚えて、相変わらず酔い潰れていた。
万歳しながら若者のすべてを歌った夜を、今も時々思い出す。
初めて酔った後の電車の揺れは、かなり危険なことを知った。
先輩はいつも自宅の最寄り駅を通過していたらしい。都心から30分圏内なのに、帰るまでに2~3時間かかると話していた。

上京して3年程経った頃か。
ハナレグミのライブに誘われた。
先輩の彼氏も一緒だった。
昔から、長く付き合っていることは聞いていた。
初めて会ったのに、先輩が一緒にいる理由が分かる程気さくな人だった。その気さくさは、私にとって丁度良いものだった。
友達の彼氏ともあまり会いたくない方だが、先輩の彼氏は違った。
自然と一緒にライブに行くことも増え、3人でフジロックに行き、雑魚寝する仲になっていた。不思議と居心地の悪さが全くなかった。
先輩の音楽の趣味は、彼氏の影響もあることが分かった。
私は選り好みするタイプだが、先輩の彼氏は音楽をそのまま受け入れる人だった。ロックはロックの、レゲエはレゲエの、ヒップホップはヒップホップの。それぞれの良さを、否定からではなく肯定から入る人だった。
先輩にそのことを話すと、
「あの人は偏見がないんだよね。」と言った。
なんだかそこで、その2人の中に入っても居心地が良い理由が分かった気がした。3人で夜のグリーンステージで歌うバンドを見ながら、酒を飲んだあの景色を忘れたくない。

そんな出会いから、更に3年経とうとしている。
先日、先輩たちは結婚した。
長い長い付き合いの末の結婚。
それはもうしっくりくる出来事だった。
おめでたい気持ちと同時に、寂しさがあった。3人の関係性が少しずつ変わってしまうのかな、なんて思ったりした。そんな気持ちを振り切って、コロナ渦で会えない先輩たちに結婚祝いを贈った。

そして最近。
2人から連絡があり、新居で飲もうと誘ってくれた。
明日は約束の日だ。

関係性が変わるとか変わらないとか、そんなことを気にしている自分が小さく感じる。私たちはいつだって、その時その時で良い関係を築いていけるのだから。

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