見出し画像

十人十”感”

最寄りの駅から歩いて15分。イヤホンを指し、きょうはあれを聴こうかな、気分が乗ってるからこの曲にしようかなと日替わりで聴きながら帰っている。
駅から家は特に店もないのでただひたすら歩く。最初は、歌詞を追ったり、授業のことを考えていたりする。しかし、5分くらい歩いたあたりから、特に何も考えずにただ歩き続けている。その代わり、手が動いている、頭が動いている。ふと自分のその動きに気づいて、不審者に思われたりしてないか周囲を見回すこともある。

思えば、歌詞を覚えている曲はほとんどないし、歌詞全体の意味を知っている曲もほとんどない。ボーカルも含めて一つのメロディとして聴いている感じか。

調べてみると、人には、視覚優位、聴覚優位、身体感覚優位、言語感覚優位など人それぞれの感じ方があるという。
この中で自分は、身体感覚優位じゃないかと気づいた。
ずっと本を読んでいても、ずっと人の話を聞いていても、途中でパーッと魂が消えていく。
本を読むときは、線を引かないと入ってこない。
勉強も、ノートは授業中の感覚の「補助線」として書いているだけで、あとから読んでも何も頭に入ってこない。

理科や数学の公式は“現象”の“言語化”なので、理解に苦しむこともあるが、雲のようすの観察とか、理科室でやる実験は昔から大好きだ。

ところで、身体感覚の特徴として、スポーツが得意というのもあるらしい。
…。スポーツは苦手なんだが。
確かに、体の感覚が豊かな人は体をうまく使いこなせるだろうな。

もしかして、身体感覚優位でもないまた違う感じ方なのだろうか。

「人体は小宇宙」というように、自分たちがよく知っていそうなことなのに謎が多い。

                        2022年7月31日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?