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【景観を考える(2)】定言命法の都市計画

本稿は、早稲田大学の景観まちづくりの授業でポストコロナのまちづくりを考えるにあたっての準備である。

1)都市を大きく変えたモータリゼーションについて、以下のことを調べてまとめること。
・モータリゼーションはいつ頃どのような形で起きてきたか。
・モータリゼーションをポジティブに捉えた新しい都市の具体的な例を挙げて、そこではモータリゼーションがどのような効果や恩恵をもたらすと考えられていたか。
・モータリゼーションがもたらしたマイナスの影響を具体的に挙げて、それに対する対応策としてどのような取り組みあるか、3つ以上探す。

1.モータリゼーションの歴史

モータリゼーションの興りは、T型フォード(1908)の量産を契機とする、20世紀の自動車の急速な普及であった。どの国も工業力を大幅に強化し、人口が激増していく中で、列強諸国の都市計画の主たる関心は、拡大していく都市をどう秩序ある発展に導いていくか、ということであった。

18世紀以降のイギリスを発端とする産業革命を機に、工場制手工業(マニュファクチュアの語感は好き)、また機械製大工業へと、産業構造の一大転換期を迎える中で、都市の住環境は悪化の一途をたどった。エンクロージャー(囲い込み)を行って、都会に大量の人手を集めていった。1840年代のイギリスの主要な工業都市は、「汚濁の 40 年代」と呼ばれるほどであった。ベネヴォロの『近代都市計画の起源』でも描かれたように、イギリスのグラスゴーの過密住宅では、一つのベッドで3人が寝る、という光景も日常茶飯であった。城壁に囲まれていたヨーロッパの都市は、あの急激な人口膨張を想定していなかったのである。

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パリ改造以前のパリにおいても、人口密集が著しく、糞尿は裏路地の浅い溝に投棄していたので、ペストやコレラが大発生する度に数十万人が死んだ。現代日本で新型コロナウイルスで死んだのが935人であるから、上下水道の普及などによる衛生状況の改善が、感染症から多くの人の命を救いうるということの証左である。

アフガニスタンで用水路を設計し、2019年末にテロリストに撃たれて亡くなった中村哲さんは、医師である。彼はなぜ医師なのに用水路を引いたのか?医師として目の前の人を救えはしても、そもそもの飢餓や疫病の原因となる水不足を解消しないことにはきりがない。灌漑施設を整えれば、その地域の何百万の人々の生活水準を向上できるからだ。しかし、本当にそうだろうか?彼はなぜ医師なのに用水路を引いたのか?真の要因は、用水路を設計する土木技術者があの場にいなかったからだ。うちの学科のある先生が、中村さんの亡くなった去年の12月に、「本当はあの場で死ぬのはぼくら土木技術者のはずだった」と悔しそうにおっしゃったのをよく覚えている。

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さて、セーヌ県知事に抜擢されたオスマンがパリ改造を断行するのが1853~1870年である。ナポレオン三世によるスゴンタンピール(第二帝政)の期間に、ネオバロック様式という絢爛豪華な建築様式が流行する。画像はパリのオペラ・ガルニエである。とことん細部までデザインされた、美しすぎる装飾がネオバロック様式の特徴である。

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さて、エベネザー・ハワードの「明日の田園都市」(1898)は、人口の分散と緑地の大切さを説いた。脈々と連なる都市美探求の流れは、ここにきてさらに盛り上がりを見せてくる。ロビンソン「現代のシビックアート、または美しい都市」(1903)やバーナム「シカゴプラン」(1909)に受け継がれていく。

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こうした一連の流れの中で通奏低音のように響き、徐々に頭角を現してくるのがモダニズムである。モダニズムの核心は、合理主義にある。早稲田大学の中谷教授は、様式の流派を普遍性の系と固有性の系に分け、ルネッサンス・新古典・モダニズムといった普遍性の系と、バロック・折衷主義・ポストモダニズムといった固有性の系が15世紀ルネッサンス以来交互に訪れてきた、と説く。

建築は、そして都市は、美しくあるべきか、それとも合理的であるべきか?建築はそれ自体が芸術たりうる、という思想をロマン主義という。芸術史を象徴的芸術、古典的芸術、ロマン主義的芸術という進化の過程として記述したのはほかならぬヘーゲルである(「美学ー美術に関する講義」)。ロマン主義建築は固有性の系に属する。これに対して、モダニズムは、普遍性の系に属する。「通奏低音のように響き」と表現した理由は、まさに合理主義の普遍性は固有性の系においてすら潜在的に発見されると思うからだ。

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写真はファグス靴工場(1913)。

モータリゼーションがその勢力を拡大していった背景には、産業革命以来の深刻な問題解決のデザインとしてのモダニズムとの、強力な相互作用があったといえるだろう。ル・コルビジェは"Module d'or"という本のなかで以下のように述べている。

発見は、いつかは誰かの頭と目と手を経なければならない。都合の良い雰囲気と環境の中で、探求を積極的に進められるようなそして結論に至れるような条件が与えられて。

モータリゼーションという時代の要請は、都市の理想像を大きく揺さぶった。

2.モータリゼーションに期待された効果や恩恵

・コルビュジェの300万人都市(1922)

コルビュジェは、「住宅は、住むための機械である」などの発言が有名な、モダニズムを代表するパリの建築家である。モデュロール("Module d'or"、直訳すると黄金のものさし)という身体尺度を用いた幾何学的な設計により、合理主義建築の理論をうち立てた人である。コルビュジェの300万人都市は、当時のパリの人口300万人を想定して、大規模な人口と日照、緑化を同時に達成しようとした垂直田園都市である。この点、人口を小さく抑えたハワードの田園都市とは対照的である。アメリカでペリーが近隣住区論を発表したのが1924年と、ほぼ同時期である。

コルビュジェは、自動車が人々の移動速度を飛躍的に向上することによる都市の変化の可能性について、強い期待を抱いていた。フランスのル・コルビュジェ、ドイツのヴァルター・グロピウス、アメリカのホセ・ルイ・セルトらは、CIAM(近代建築国際会議)を開いた。グロピウスは、「国際建築」(1925)のなかで「造形は機能に従う」というテーゼを示した人である。CIAMの第4回会議で採択されたアテネ憲章(1933)においては、「居住」「就業地」「レクリエーション」「交通」といった都市の機能に基づく合理的な都市像を掲げた。

コルビュジェは、『建築をめざして』という本の最後に"Architecture or revolution. Revolution can be avoided."という文を付した。建築せよ、さもなくば革命が起こるぞという警鐘を鳴らしたように思える。その背景には、先述したような人口集中の弊害による住環境の悪化という深刻な課題があったのだ。

・帝都復興計画(1923)

コルビュジェの300万人都市とほぼ時を同じくして、東京では後藤新平による八億円計画(1921)、そして関東大震災の帝都復興計画という大きな都市計画的転換期を迎えていた。

昭和通り(幅員33~44m)、そして大正通り(靖国通り、幅員27~36m)といった広幅員道路は、防災(特に防火)、堂々とした景観、そして交通機能の向上といったいくつかの重要な役割を担った。当時の道路はネットワークも舗装も整っておらず、砂ぼこりが吹き荒れていた。路面電車も混雑を極め、現代に連なる満員電車の問題はこの時点ですでにあったのである。以上のことから、都市の道路機能を向上することで、公共交通機関の混雑を解消し、舗装を行き届かせることで砂ぼこりを収めようとしたとすれば、モータリゼーションへのポジティブな恩恵を期待したといえるのではないだろうか。

後藤新平は、ニューヨーク市政調査会をモデルに東京市政調査会を立ち上げた。その際に、ニューヨーク市政調査会理事のチャールズ・ビヤードを招聘し、意気投合している。入念な調査に基づき、アメリカでのモータリゼーションの急速な進展についても詳細な情報を得ていた可能性が高いと推察される。

・日本列島改造論(1972)

田中角栄は、戦後を代表する政治家として有名であるが、新潟生まれで、建築士として設計事務所を経営したり、田中土建工業というゼネコンを経営したりと、建設業に深く関わった人物でもある。

田中角栄は、東京に人口が流入して地方が過疎化する問題や、公害などの急激な経済成長に伴う環境問題に直面し、これを交通の力で解決しようとした。すなわち、全国に鉄道・道路網を張り巡らし、モータリゼーションの効果で全国のどこにいても経済成長の恩恵にあずかれるようにすることで、人口の分散を図ったのである。

以上のように、いつの時代も、都市計画はその都市の人々の関心に沿うものでなければならない。まったく突飛な都市計画は人口に膾炙せず、むしろある時代の深刻な課題が、その時代の人々の倫理に影響を及ぼすのだ。「都市はこうあるべきだ」という当為命題には、波及効果の裏付けに基づく主張と、社会通念上のルールに基づくものがある。いわゆる帰結主義と非帰結主義である。たとえば、「都市が経済的に豊かになれば、最先端の企業が集まってイノベーションが促進されるので、都市の国際競争力をあげるべきだ」というのは帰結主義、「都市は美しくあるべき」が非帰結主義である。これは、倫理における仮言命法と定言命法の関係と等しい。数理的計画論に基づく計画はおよそ仮言命法であり、帰結主義の都市計画である。一方、非帰結主義の都市計画は、事前に確かな予測が立たない場合に必要となる。先程、「建築は、そして都市は、美しくあるべきか、それとも合理的であるべきか?」という問いを投じたが、これまでの歴史で様式が固有性の系と普遍性の系とを往復してきたということは、社会の変化は仮言命法のみならず定言命法の倫理にも影響するのではないだろうか。

次に、モータリゼーションがもたらした悪影響について述べる。

3.モータリゼーションがもたらしたマイナスの影響と対応策

モータリゼーションの進展にともない、車の往来がしやすい土地利用が増えると、さらに多くの交通量を誘導し、渋滞につながる。すると、渋滞を解消しようと車の往来がしやすい土地利用をさらに促進し、さらに多くの交通量を誘導する。この循環の中で、環境問題、交通事故、都市のスプロール化といった問題が起こってきた。

公害・環境問題

自動車社会の環境問題には、騒音公害、大気汚染、CO2排出量の問題など多岐にわたる。NOxの排ガス規制、ハイブリッド車や電気自動車などの技術革新によって解決していくであろう。たとえば、トヨタ社は2050年までにエンジン車を0にするという目標を掲げている。

交通事故

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交通事故は道路網の整備やABS等自動車の技術革新によって、徐々に減りつつあるが、それでも高齢ドライバー等による交通事故は報道等でも取り沙汰されるところである。信号の整備等による交通整理、飲酒運転やスマホよそ見運転の厳罰化、自動車の性能向上などによってさらに減らしていくことが重要である。

都市のスプロール化

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画像はアメリカのデトロイト。みるからに荒廃していて興味深い写真である。

スプロール化は、古典経済学のいう、市場における神の見えざる手が解決できる問題ではなく、市場の失敗と言われる外部不経済の一つである。公的機関による外部からの介入による解決が必要であろう。具体的には、区画整理事業や社会基盤施設の整備である。

4.さいごに

都市計画は、時代の変化とともにあった。産業革命を機に住環境が悪化したら、住みよい都市を構想し、モータリゼーションの波が到来すれば、車の往来を促進する都市を構想し、自動車社会の負の外部性が明るみになってくると、道路空間の再配分など歩行者中心の都市を構想してきた。このように、社会の要請に応じて、都市計画はその理想を変えてきたのである。


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