官邸の空を見上げて。

昨日、会社付近の空、いくつものヘリが、けたたましい音を上げていた。



安倍元総理が亡くなり、さまざま思うことがある。

自分はテレビメディアという場で働く者。

これまでに、朝の番組(とくダネ!という番組)も担当してきたが、
安倍さんには、もちろん直接お話する機会は無かったが、
何度もニュースとして取り扱い、議論の場を作ってきたつもりだ。

2017年、世間が小池旋風に揺れる中、僕もディレクターという肩書きをもらい、最初に経験した取材がその年の総選挙だった。
この時、モリカケの話題が加熱しており、当時のことを思い出す。
僕は別の議員を追っていたために、安倍さんの演説を目の前で聞くことは叶わなかったが、秋葉原での最終演説は映像の記憶がいまだに熱い。


あの時から数えてもテレビは多くの疑惑とされるニュースを報道し、僕もそれに携わっていたとも思う。


もちろん、その同じテレビで”凶弾”という文字とともに、訃報に触れるとは全く想像していなかった。


この数日、やはり自分の心の中でどこかざわついている感じが拭えず、こうして取り留めもなく記すことはしようと思い、書いてみる。



学生時代、テレビとはなんたるか、という授業で、アメリカのテレビシステムについて学んだ。自分でも良く話している話題だと思うが、とても面白かった。
その中で、ニクソン大統領の時期に、テレビ(メディア)としての機能とは?という話が出てくる。

ウォッチ・ドッグ(番犬)だ。

ざっくり、記憶しているもので書くので、ざっくりなのだが、
ウォーターゲート事件からニクソンの辞任まで追い込んだのは、
民主主義の番犬たる、テレビ(メディア)だ。
授業では、あくまでこれが正しいと語られず、こういう歴史事実があった、という説明を記憶している。
(この授業スタイルが、今でも彼の教授の”唯一の”良いところだと思う。笑)



これを当てがえて、今の日本のテレビを変えよう!
とか高尚なことを書くつもりは微塵もないが、
なんにせよ、ここ数日間の世論の風潮はどうにもざわつく。
それでいて、テレビから流れるニュースとの温度の差が激しすぎないか?


無論、各局の「色」があることは承知。
それを抜きにしても、どこか気味が悪い気がしてならない。

これは安倍さんの死に対して、追悼するVTRなど、
そういったものに対して違和感を覚えているのでは決してない。
しかし、どうにも全体的に変な気がする。
なんというか…見ていて「疲れる」。
(しかし先日のTBS選挙特番の爆笑問題・太田さんの質問「総理、この国は大丈夫なんですか?」という問いには、なぜか心が少しだけ救われた。)


この先どこに向かうのか、そんな気がしてならない。
じゃあ君には何ができる?と、これでもテレビマンの端くれとして自問自答をするが、どうにも答えが出ない。ただ尖った意見を提示する、というのでは違うと思うからだ。


良くも悪くも、「見せ物」であるテレビ。
しかし今、その先に何が待つ?

僕はいまだにテレビの力は絶大だと思う。
舵取りを間違えれば、いかなる方向にも行く。
情報には「間違い」があるが、思想には「間違い」がないと思う。


急流の中にいる今こそ、慌てることだけはしないでほしい
テレビ。
自分にもそう語りかけつつ。



最後に、全く違う話を。
僕の家族内で結構問題の根幹という親族がいたのだが、
その人が亡くなった後、少しだけ家族内の風向きが変わったのを思い出した。
劇的な変化こそなかったけど、なんにせよ自分の中で少し時代が終わった・変わったという気持ちになったことを覚えている。

家族の雰囲気だとか、問題だとか、
良い方向に正すことってすごく難しいのだけど、
その「死」は何かしらきっかけを含んでいたのだけはわかっていた。


僕の家族の問題に関しては色々と現在進行形で進んでいるが、
やはりあの瞬間をきっかけにして何かが動いたことだけはわかる。
良い方向か、その逆かはまだまだわからないけど。

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