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親の日常、どんどん知らないものになってく。


帰省してから10日ほど経ち、久々に帰ってきた「実家感」は薄れていつもの日常を送っている感覚になる。やたらと水圧の弱いシャワーや生温かい風が出るドライヤーにも慣れてきた。両親は相変わらずだ。年末に自分が男性と付き合っていたことを父に打ち明けたが、そのことについて詮索されないし、体調や仕事について聞いてくることもない。

こちらに聞かない代わりに父と母は日々の出来事をつらつらと話してくる。慣れないカタカナ用語が飛び交う職場で異文化に戸惑っていること、最近はボーリングにハマっていること、向かいのゴミ屋敷の住人が引っ越して行ったこと、最近お気に入りのパスタソースのこと、ヨーカドーが閉店すること、そんななんて事ない日常のあれこれを聞く。息子に興味がないわけではないようで、最近比較的平穏に過ごしていると言うと「そうか」とホッとしているようだった。本当は色々聞きたいのだろう。実家を出てからは親との関係性はずっとこんな感じだ。お互いに大事なことは無理に詮索せず「話したい時に自分から話すだろう」と気長に待つような距離感が保たれている。それが心地よい。大事なこと、知っておいて欲しいことはこれまで話してきたつもりだ。

自分の傷病手当金の話の流れから行政サービスの話題になり、父にマイナポータルのログイン方法や活用方法を教えた。とはいえデジタルよりも紙を好む父にとっては知ったところで大した有益性はないのだが、マイナンバーカードの上にスマホを物理的にかざす動作や、あらゆる情報が画面に集約されている今時感は新鮮で楽しいようだった。父は最近職場で覚えたDXの言葉がお気に入りらしく、ことある毎に「DXする」と言う。その「DXされた」画面に集約された父の情報を見ていると年金のページがあり興味本位で覗いてみる。これまで父が40年納めてきた合計金額と今後の給付額が表示されており、地方都市で熟年夫婦が暮らすには十分な金額だった。

この人たちは子離れして二人の時間を送り始めたんだなと、よく感じる。久々に会う度に両親の日常は更新され、自分の知らない姿が増えていく。居間の家具は見覚えの無いものに買い替えられ、18歳まで自分が使っていた部屋は父親のリモートワーク部屋になった。これからもきっと少しずつ両親の日常は更新され、実家への懐かしさは減っていくだろう。それでいい。子どもたちから独立し、彼らが「親」という時間に取り残されずに暮らしていることに安心する。


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