初めて署名を出した。
インスタを見ていると、今日はストーリーで「ALL EYES ON RAFAH」と書かれた画像がやたらと流れてくる。AIで生成された画像で、砂漠のような荒野にテントが「ALL EYES ON RAFAH」の形に立ち並んでいた。実際には存在しない光景だが、ガザでの襲撃に対する抗議のムーブメントであることはすぐにわかった。
ガザについてはニュースやSNSで連日目にするので、大変なことが遠い国で起こっているんだなとは思っていたのだが、正直「遠い国」くらいの認識だった。毎週のようにデモに行く人には「誰に向かって怒っているんだろう」と思ったし、不買運動を訴える人には「そこで働いてるだけの人は悪かないだろう」と特に行動を変えることはなかった。自分が関与する話ではないと思っていた。
しかしこう毎日あらゆる媒体で目にすると自分の意識も揺り動かされてくるもので「なんでこんな悲劇が起きてるんだっけ」と思うようになった。イスラエル・パレスチナ問題って言葉は聞いたことあるが、何が問題でなぜずっと解決しないのか、そもそもパレスチナは国なのか、ガザってどこなのか、中東戦争って何なのか、どうやって出来た国なのか、ハマスって何なのか、なぜ襲撃されなきゃいけないのか、なぜイスラエルを支援する企業や国がいるのか、アメリカの大学でなぜデモが起きているのか、日本はどうなのか、デモに行く人は何を訴えているのか、マックに行かないことがなぜ意思表明になるのか、何も知らなかった。何事においても問題意識が低いのは自覚していたが、こんなに何も知らずに、知ろうとせずにのほほんと過ごしてきた自分に呆れてきた。こうしてようやくこの悲劇について自分で意識を向けるようになった。
物事を簡単に知ろうとするのも自分の良くないところだが、Youtubeで池上彰のチャンネルを見てみた。簡単な結論は語られていないが、歴史的な経緯や去年のハマス奇襲からの時系列、ニュースでよく聞く言葉たちの解説はとても理解しやすかった。他にもニュース解説チャンネルを漁ってみたが、素性がわからない人の動画は池上彰よりも情報がぼんやりしていて理解しにくく見るのをやめた。中田敦彦とかサムネイルの時点で威圧感のあるチャンネルは見る気になれなかった。しかし池上チャンネルも動画が制作されたのは数ヶ月前なので、最新の状況を知りたくてテレビやPodcastでニュースを聞いたり新聞を読むようになった。メディアは印象操作をしていて信憑性に欠けるという声も聞くが、ネットに溢れる有象無象の文字列に比べれば、少なくとも編集や校閲の複数の目を通して世に出てくるため信頼できると思っている。新聞社によって表現の違いはあるものの、ガザについては国内記事と比較すると大きなブレはないように感じた。一次情報を得ることが大切だとは思うが、この場合の一次情報て何なんだろう。ガザに自分の足で行くしかないんじゃないか。それは出来ないので信頼したいと思える二次情報を探すかしない。本も読んだ。何冊も買うのは金銭的にきついので最近よく図書館に通っている。第一次世界大戦から第二次世界大戦、東西冷戦、中東戦争、ああ、全部繋がっているんだなぁと少しずつ理解してくる。学校の世界史の授業では一切抱いたことのない虚しさに襲われた。ユダヤ教、イスラム教の本も読んでみたが、神を信じる気持ちやそれが差別や戦争にまで発展する道理はやっぱり理解できなかった。
「ざっくりわかる8コマ地政学」という本を読んだ。地政学の概念は初めて知ったが、国々の地理的な特性が国際情勢に与える影響を考察する学問らしい。ざっくり8コマで理解しようとするなよと自戒の念も湧くが、国というデカい主語で括るのは流石に雑だと感じた。国際情勢を粗い視点でざっくり把握することは出来たので、本の趣旨には合っていたのだろう。
歴史的な経緯を知れば知るほど二項対立ではないように思え、イスラエル派の存在がいることもなんだか理解できるようになってきてしまった。でもそんな感覚を抱く自分が怖くなった。世界史にしろ地政学にしろ宗教にしろ、それらはずべて人間を集団として大きな箱として括る概念であり、全体的な構造を俯瞰していたに過ぎない。全体を俯瞰したとて虐殺を肯定していい理由なんてないのだが、今起きていることが人間と人間の話だということを忘れかけていた。TRPで見た、ガザ地区にいるクィアの人々の言葉を翻訳した展示を思い出す。写真に撮っていたので改めて見返す。インスタを見ているとガザにいる青年がスケボーに乗っているリール動画が流れてきた。夕陽を浴びながら鉄骨が飛び出た瓦礫の山を縫うように滑っていて、美しいけれど悲しい動画だった。そんな彼を気高く感じた。
「プロミス」というドキュメンタリー映画をみた。パレスチナとイスラエルで生まれ育った子どもたちを取材したもので、生まれた時から彼らは大人たちの影響でお互いを敵視しているのだが、なぜ憎み合っているのかわからず混乱している様子も描かれていた。ユダヤ人に一度も会ったことがないパレスチナの少女が、ユダヤ人の子に会ってみたいと言い他の子と言い合いになる場面がある。その時に彼女が放った「これは政治家の話じゃなく、子どもたちの話だ」という言葉が頭から離れない。そうなのだ。人間と人間の話だ。この映画は20年以上前に制作され、彼女が無事であれば今の自分とさほど変わらない年齢になっているはずだ。生まれてからずっと民族間の争いに日常を侵されているのはどんな気分なのだろうと考えてみるが、想像なんて出来ず、理解したつもりになってはいけないのだと感じた。過去の経緯を調べたり宗教観の違いや政治について調べることは大事だが、人が人を殺して良い状態なんてあってはならないという当たり前の真理に立ち返った。どんなに複雑な事情があろうとも、虐殺はあってはならないのだ。
「ALL EYES ON RAFAH」の大量投稿を見ていると、ムーブメントだからって乗っかるのはパフォーマンス的で嫌だなという気持ちと、パフォーマンスであったとしても見た人が課題意識を抱いたり行動のきっかけになるならいいじゃないかという気持ちが拮抗した。意思表明することで「お前はそっち側か」と何かの線引きをするような気分の重さも感じる。
JINというドラマのあるシーンを思い出した。江戸時代にタイムスリップした医師が瀕死の子どもを目にするも、未来に影響を与えてはなるまいと治療を躊躇う。するとそこに居合わせた綾瀬はるかが「医者が子どもを助けてはいけないとは、どのような道理でございますか」と一喝する。過去と未来という大きな構造に囚われ、医者が人を助けるという当たり前のことを見失ってしまうシーンだ。脳内の綾瀬はるかが今の自分に訴えかけてくる。人が人を殺して良い道理なんてないと最近感じたばかりじゃないか。
インスタのムーブメントに乗っかるだけだと自分を許せなくなりそうだったので何か行動に起こせるものを探した。その中で見つけたのが署名だった。これもきっかけはインスタだったが、ガザでの即時停戦を求める署名を集めて国会に提出する活動を行なっている人の投稿が流れてきた。投稿にはGoogleDriveのURLが書かれており、署名用紙を自分で印刷し直筆で署名したものを発起人の方に送る仕様だった。ネットで簡単に意思表明できるものもあるが、直筆って点が強さを感じて良い。脳内の綾瀬はるかに後押しされいそいそとコンビニで印刷し、氏名と住所を書いて郵便局に行き速達で提出した。思い立ってから提出するまでは10分くらいだったろうか。
この署名にどれだけの影響力があるのかはわからない。何の意味もないのかもしれない。しかし、自分が無力であることを自覚することと無関心を貫くことには大きな違いがある。無知や沈黙は、もう恥ずかしいことだと思ったんだ。
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