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「魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ」を、業種展開して考えてみたら/答えのその一つ手前のアイデア

気付いたら、11月も半ばに差し掛かってきた。

今年も残すところ約一ヶ月半。
時間の流れは本当に、早い。

通常業務だけでもヒーコラしているのだが、そこに開業準備も乗っかっているので、なんとも一歩が重い。

ほんとは余裕も付けて返せるくらい気を利かせたいものだが、そんな日々だと、仕事を捌いたり、淡々とこなしがちになってしまう。

ーー聞かれたことを答えて、聞かれたことを答えて、そして聞かれたことを答える。

少し大袈裟に言えば、店内にどっと流れ込む大量の客に応えるお昼どきの牛丼屋さんの定員になった感覚である。

食べ終えた食膳を目前に、背中側から新しいオーダーを受ける、そんなもどかしさに似た感情。

■答えそのもの、その一歩手前

それは、聞かれたことに答えるだけでなくて、できればその前段階の考え方まで共有したいという想いからくるものである。

そこまで含めて答えないと、また次に同じような質問が飛んできてしまう気がするからである。

それはこちらが再度対応するのが手間だという意味ではなくて、そもそも相手のためになっていないという意味で避けたいという意味である。

老子の言葉で「授人以魚 不如授人以魚」というものがあるが、まさにそのこと。
1日で食べて終えてしまう魚よりも、一生食べていけるような釣りを伝えよ、ということである。

言うは易し…だが、答えを求めている人に対して、直接答えを与えることだけが正解ではないと思うわけである。

あの有名な「金持ち父さん貧乏父さん」の本で感銘を受けたは、冒頭でこの本の内容は「答えでなく、指針」と言い切っているところであった。

人それぞれ答えが異なる前提で、答えそのものにはそれ程価値はなく、その一歩手前の考え方にこそ再現性を含めた価値が詰まっている、と私なりに解釈している。

■魚を与えるのではなく、〇〇

ちなみに、答えそのもの、その一歩手前の考え方には、人によって色々なパターンがあるように思う。

先程の老子の言葉、

"魚を与えるのではなく、魚の「釣り方」を教えよう"

これは、あえて業種的な分け方をしてみれば、サービス業者的な発想だと思う。

モノからコトに転換することで、答えの一つ手前に遡っている。

では、他にどのようなパターンが考えられるか。

"魚を与えるのではなく、「釣り竿」を与えよう"

これは卸売業者の発想である。

同じモノを与えるにしても、魚という最終成果物ではなく、それを得るための道具を与えるという発想である。

"魚を与えるのではなく、「釣り竿を作ってみよう」"

これは製造業者の発想。

先程の卸売業のような既製品を取り揃えるのではなく、釣り竿そのものを作ってみることで、よりその人がに適したモノを与えようという発想である。

"魚を与えるのではなく、魚の「捌き方」を教えよう"

同じサービス業者の発想でも、内容を変えることもできる。飲食業者的な発想と言っても良いかもしれない。

釣り方がわかったところでそれが食べられなければ生きていけないという点に着目した考え方である。

他にも、それの「保存の仕方」や魚の「養殖の仕方」等、色々と自由に考えられるはずである。

要は、答えを与えるだけでなく、工夫次第でその答えを本人に引き出してもらう方法はいくらでもあるし、むしろその方が長期的にみれば本人のためになるのではないかということである。

答えの一つ手前のアイデア、である。

■おわりに

答えを求めている人に対して、直接答えを与えることだけが正解ではないという考え方は、ビジネス以外にも通用する考え方なのだろう。

貧困問題一つとっても、金を出したり井戸を掘ったりと、あの手この手で色々なアプローチがあるはずだ。

共通するのは、他でもない"自分なら何ができるのか"、という問題意識とそれを実行に移すためのアイデア。

それこそが自分が思う以上の答えを相手が見つけてくれる可能性を秘めている、と信じてみるのは悪くないのではないか。

そんなことを思いながら、今日も打合せに向かいます。

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