【とある街クラブ指導者がA級ジェネラルライセンスにチャレンジする話】~EPISODE 0~
2024年度A級ジェネラルライセンス講習会の受講が可能となりました。
現在前期日程が終了し、中期日程までの所謂「間の学習/クラブワーク」の時間です。
A級ジェネラルライセンスの指導対象は「アマチュアトップレベル」の選手となります。
ではなぜ、「アマチュアトップレベル」ではなく「育成年代」の指導者である私が、A級ジェネラルライセンスを受講しようと思ったのか、現在はトレセン活動などにも関わっていない「街クラブ」の指導者がどうやってA級ジェネラルライセンスを受講することになったのか。
そして「A級ジェネラルライセンス」とは一体なんなのか。
(講習会の内容の詳細に触れることや、資料の公開などは固く禁止されているため、あくまでも私が感じたことになるとは思いますが)
エリートでもない、トップレベルの選手歴もない、華々しい実績がある訳でもなく、現場で日々もがいている指導者の「リアルな姿」として年間を通して記録を続けたいと思います。
前段として、今回は「A級ジェネラルライセンスを受講しようと思うまで」を自己紹介も兼ねて、書いてみようと思います。
次回以降の内容がより「リアルに」感じられるよう、お時間のある際にでも、電車の移動時間にでも、中途半端に余った空き時間にでも読んでいただけると幸いです。
セレッソ大阪のスクールで本格的にサッカーを初めてから、ジュニア~ジュニアユース期をセレッソ大阪の育成で過ごし、進学先では創部3年目にして選手権出場を果たすという恵まれた環境でありました。
柿谷曜一朗(現徳島)、山口螢(現神戸)、丸橋祐介(現鳥栖)、阿部浩之(現湘南)、江口直生(現讃岐)、福村貴之(現琉球)
※敬称略
など現在も現役でプレーする後のJリーガーの皆さんが多数いたこともあり、「選手としての限界」は早々に感じざるを得ない環境であったとも言える中で、大好きなサッカー界で生きていくには「指導者しかない」と気付いたのは、比較的早かったように思います。
(私自身の競技レベルは並以下であったことは付け加えておきます)
指導者を始めたのは2014年。
サッカーの指導者になる方法もわからず、なにから始めれば良いのか今ほど情報がない中で、ジュニアユース時代の恩師である金晃正さん(現セレッソ大阪U18監督)にご相談し、セレッソ大阪サッカースクールでコーチ業をスタートとさせていただきました。
多くの指導者の方がそうかと思うのですが、指導者としてのスタートは「育成」ではなく「普及」コーチとして。
間違いなく言えることは、ここでの経験が大きなベースになっているということ。
当時は「理不尽だ」とか「何を言われているかわからない」と思っていたことが、年齢を重ねるごとに、また違う環境に身を投じた際に貴重な金言であったことを思いださされるわけです。
当時の先輩の皆さん、本当にすみませんでした。笑
Jリーグクラブに所属していると比較的ライセンスも取りやすい環境でありました。
トライアルを受けるようなものではなく、「クラブ推薦」という形で、2015年度にB級を2016年度にはA級U-12を受講させていただくことができ、比較的スムーズにライセンスを取得することができました。(これは良し悪しは色々あると思います)
2017年には縁あって東京武蔵野シティFC(横河武蔵野FC)へ移籍
トータル5年間、主にU18世代の選手たちを担当し色々な経験をしました。
初めての関東生活、慣れない言葉、初めての「育成」年代の選手たちに戸惑いながらも、選手たちと一緒に多くの経験をさせていただきました。
2022年からは同じく関東圏の東急SレイエスFCへ移籍
以前から興味のあったU15年代に携わることができて、また充実した時間を過ごしています。
次回以降に「何故A級ジェネラルライセンスを受講しようと思ったのか」「どのような方法で受講が可能になったのか」をお伝えできればと思います。
リアルなサッカー指導者の目線でお伝えできればと思いますので、もし良ければ既読ついでに「いいね」押してもらえると、note執筆のモチベーションになります。
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