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産業革命と現代アート〜現代に見るダダイズム2.0〜

こんばんは。ITスタートアップでデザイナーをやっている高橋名人と申します。
みなさんは「現代アート」に興味はありますか?
また、「アート」とはどういったものをイメージしますか?

「アート」とりわけ「現代アート」ともなると難解で理解できない。という気持ちも分かります。ですが、私は大学の芸術史でアートを学んで実はその時代の様々な社会情勢を反映した現代アートがあったことを知り、時代を超えて共感できる価値観や共通性に気付くことで見方が大きく変わりました。

その中でも「ダダイズム」という現代アートの系譜が、今2020年のアートやエンタメ、商業にも見て取れると思いnoteを書きました。

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これはマルシェル・デュシャンという作家の「泉」という作品です。
「泉」を簡単に説明すると「トイレを買ってきてサインをしてそのまま出展した」という作品です。

当時、かなりの賛否を生みましたが、「泉」はエポックメイキングな作品となり、後世まで語り継がれることになりました。

産業革命による既製品の高品質化の流れ

このダダイズムという芸術には色々な社会背景があり、戦争に対する嫌厭や不信感が募る各国の政治に対するアンチテーゼとしてヨーロッパや日本にも伝搬しました。
一方でこの時代が商業においてどういう時代だったかというと、「産業革命」の最中だったこともひとつ大きいと思われます。つまり「工業製品のクオリティがどんどん高くなっていった」のです。

その過程でデュシャンは「手作りよりも既製品の方が美しいのではないか??」とそれまでの芸術に疑念をいだきます。
今の時代で例えるなら「UNIQLOより美しい服」は作れるのか?というようなものかも知れません。服でいうと1点ものなどの手作りの服を「オートクチュール」といい、設計図を書いて工場で大量生産する服を「プレタポルテ」と呼びます。UNIQLOの服はプレタポルテの歴史上でも、品質、デザイン、価格、機能性などが最高レベルですぐれていると思います。他にもスマートフォンのiPhone、検索エンジンのGoogle、ネットショップのAmazonなど、すぐに誰でも購入したり利用したりできる製品の品質はいろいろな分野で上がってきており、そんしたところからも当時と現代は社会の変化で似ているところがあります。

既成の秩序や常識に対する、否定や破壊

また、一連のダダイズムに共通して見られるテーマが「常識の破壊」です。
・芸術家は手作りの作品を作るべき
・美術館には美しいものが展示されるべき
・作者は作品に何か意図を込めなければいけない
などの常識は、当時の芸術家を芸術という「枠」でしばっていました。

実は、現代を生きる人の中でも自問自答する場面があるのではないでしょうか?(現に今この文章は論理的か?書いて意味あるか?など考えながら書いています笑)

そんな高尚であるがゆえに抑圧された社会にダダイズムは受け入れられていきました。きっとどこかで「意味なんかなくて良くない?」と誰かが言ってくれるのを待っていたのかのごとく、、、

現代に見るダダイズム2.0

2020年
SNSなどでは高尚なつぶやきが目立ちます。正義と別の正義の争いに疲れてしまうときもあるでしょう。そんな中だからこと、そういった常識を否定することで人気になったのではないかと思えるバンド漫画をダダイズム2.0として紹介したいと思います。

ヤバイTシャツ屋さん

「ノリで入籍したらええやん」とか「無線LAN、便利」とか常識にとらわれない発想や意味のない歌詞が逆におもしろくて耳に残ります。ちょうどこのタイミングで新しいアルバム「うなぎのぼり」でまたクソジェネレーター出したタイミングだったので「このタイミングでnote書かな!」と思い、書きました。ノリで。でも、歌詞意味不明だけど、曲がキャッチーでめっちゃいいですよヤバT。

ポプテピピック

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大川ぶくぶのWEB漫画から、アニメ化、グッズ販売などを通して一部のファンの間では話題になりました・・・出版社壊したり、違うアニメやゲームをパロったり、アニメでは前後編同じストーリーで声優をかえたり、これもこれでワケワカラン。でも不思議と癖になるのは、現代社会が意味を求めすぎるからや・・・赤ちゃんなんだからしょうがねぇときもあるったい。

以上、あまりまとまりもないのですが、こんな感じで「芸術と社会は互いに影響し合ってるよ」ということが実は言いたいのでした。
とりあえず、今は100日後に死ぬワニが気になっています。

では、おやすみなさい。


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