見出し画像

不安は9割捨てました(本要約・感想)

こんにちは
たかです

大原扁理さんの「不安は9割捨てました」
を読みました

隠居生活を送っていく中で
不安が消えていった扁理さん


そもそも
日常生活について
いろんな不安があると思いますが、
その不安に注目した本になります。


隠居をいていたら
「私もやってみたいです!」
という声をいただくけれども
実際にはやらないという人は多い

そこには不安があるんですよね。

で、扁理さん自身が過去を振り返った時に不安が出てくる時は


・自分が楽しいことをしていたら、親や先生に怒られるんじゃないか?
・人と違うことをしていたら、クラスや社会で仲間外れにされるんじゃないか?
・自分は人よりも能力が劣っているから、将来人並みほどに稼げなくて、生きていけないんじゃないか?


だったよう。
これ、めっちゃわかるわー

だからこそ

・好きなことに罪悪感を覚える、やりたくないことを無理してやる
・本心では違うんじゃないか?と思いながら自分の感情を黙殺。周りに合わせる
・人と同じことが普通にできない私がせっかく見つけた仕事だから、辞められない


みたいになります。

私自身、変なところがあるからこそ、
「好かれなきゃ」となったり、
もういいよと暴走したり、

それが故にうまくいかなくてなかなか採用されなかったり・・・


そういった辛さがずっとありました。


でも扁理さん自身が

・ほとんど働かずに好きに生きている
・隠居して仲間外れになっている
・年収は90万円

と不安が全部的中しちゃっています笑

でも不安はない
不安どころかめっちゃハッピー

何が不安だったのか?
どうやって不安を捨てたのか?
という本になってくる



その不安が最初に作られるのは根っこはやっぱり親

生きるか死ぬかが親に全てかかっているわけで
そうしたら親がダメって言ったことは
ダメになっちゃう

少し大きくなっても
学校ではいじめにあったり、
仕事を始めてからもうまくできなかったり・・・

そんなところから無力感・挫折感を味わっていく

親や他人や社会の期待通りにできない時に
叱られたり殴られたりして
「自分はダメなんだな」と思う

そうして、
自分のやりたいことや思ったことに先に蓋をしていくようになる


結局、始まりは他人だったわけです。
自分のせいじゃない

*****

扁理さんが東京に引っ越してから
贅沢しているわけではないのに年金すら払えない
人並みにできない・・・
社会の方がおかしいんじゃないか!

そう思って激安アパートに引っ越してから
変わっていきました。

そして不安な世界から逃げていったわけです。
実際にやったことは

・スマホをオフにする
・お誘いを断る
・温泉に行く
・瞑想してゼロになる

といったことだったようです。
全部、外界との繋がりを一旦遮断するイメージですよね。
結局不安は他人からくるので、それを断ち切ってみる

もう一つ
「感情のスクリーニング」もやっていて
自分が何か言動を起こす時にいっぺん立ち止まってみる


ネガティブな感情(不安、恐怖、焦燥感、劣等感、罪悪感、嫉妬、憎しみ、所有欲、承認欲求など)に突き動かされていないか??

そしてそれを美化・正当化するために正義や大義名分や自己犠牲を使ってくる。

例えば、「生態系を守ろう!」とか「経済を回そう!」とか。本当は外来種の野花摘みたいだけとか衝動買いをしたいだけとかなのに。

そこで、それをやらないでみる


社会的正義とかよりも、どういう気持ちでやっているのか?
というのが本当に大事だし、意外とみんな感じ取っているわけです。

本当は稼ぎたいだけでしょ とか笑

*****

最近、好きなことで生きていくみたいなことがよく言われるようになった

でも、扁理さんはこう言っている

目指すべきは「自分の好きなように生きる」であって、
「好きなことをして生きていく」とは微妙に違うと思う

結局、「好きなことをして」だと
経済的にどうなのか?みたいな話になってくる
それ自体が謎


「好きなように生きていく」のであれば
そこまで好きではないけどこのままで満足

も含まれているのではないか?と


好きなように生きる
=やりたくないことはやらない

にもつながるわけですよね。

これだったら好きなことがなくてもできる
というかこっちの方が僕が個人的にわかりやすい

週5日で働くのはやりたくない
と思えば、働く時間を減らしてみればいい


「世間で当たり前だから」はいらない
自分が違うと思ったら、当たり前の生き方や考え方を拒否していく


でも、それ自体が怖い人もいるかもしれない
それって結局ネガティブな思い込みから来ている


貧乏だから幸せになれない
ブスだからモテない
自分はダメ人間だから就職できない

とか

それを最初にいったのは自分じゃないくて他人なわけですよ
だから、生まれた時からそういう思い込みは持ってないわけです

だから、一度だけその考えをやめてみる
少しずつやってみる


そして、扁理さんはどんどん自分の世界を小さくしていった

住居スペースは必要最低限
交友関係も必要最低限
ストレスになる仕事もやめる


そしたら
生きていくために必要最低限のお金とモノと人間関係や世間の常識から解放された自分

が最終的に残ったのです。


そして、最近では
物事を個人ごととして反応しない
を意識していると。

個人的なこととして捉えると一喜一憂しちゃいます。
でもそれをやめることで

下流家庭出身ということも、中学校で暴行を受けてきたことも
自分のせいじゃない
今、隠居生活をしているのも自分のせいじゃない

たまたまそうなっただけ
というスタンスで考えると
舞い上がることもなければ、落ち込むこともない

ニュートラルでいられる

目的地を決める責任は負うけれども、
そのプロセスについてはニュートラルでいるようなイメージかな


不安な世界からさよならをして思うこととして
「自分の幸せだけ追求していいのか」
「狭い世界で生きているだけでいいのか」
みたいな規範意識との付き合い方についても考えさせられます。

でも、これって他人からの声

特に時代遅れなものも多い

そしてもっと大切になるのが
自分自身を観察すること

そのルールに従いたいの?従いたくないの?
っちゅー話

違和感を感じたら拒否したらいい
拒否してもどーってことないんだ
って感覚・経験を積み重ねていく

そうすると自分に自信を取り戻していく

*****

そうして、
嫌な社会からさよならをした扁理さんが、
再び世界に戻ってきた時に何を感じたか?

なんか記憶していたモノと違うな・・・?
嫌なことや苦手なことを我慢しないといけないってイメージ
だったんだけどな・・・


それは内的な変化がもたらしたモノだった
ということは、
「世界は不安な場所だ」
という認識は後天的に身についたモノだったんじゃないか?
って


世界に疲れたら内側に閉じこもればいいし、
出ていきたければ出ればいい

小さな世界に閉じこもっているかわ悪いということもない

もう一つ思ったこととしては
思っていないことを言っちゃう時があること

みんなが「かわいい」と言っていたら
自分は可愛いと思わないのにいっちゃうとか

で、これをやると
自分の行動や言葉が力を失ってしまうわけです。

では、自分の言葉に力を蓄えるには
「いいね!」と思っていないのに「いいね!」をしないこと

絆を大切に、日本を取り戻す

みたいな良さげな言葉は本当に「いいね!」と思っているかどうか?

これを聞いた時、僕自身としては自分に嘘をつかないことなんだなと感じました。

*****

それで、不安って思っているだけで
まだ現実には起きていないことなんですよね。

ただ、リスク管理をする上では不安も大切

で、それを一歩踏み込んで
一番の最悪の状況を考えると同じになります。


・楽しいことを優先していたら怒られる
 →怒られて嫌われて、見捨てられて、そうしたら子供の私は生きていけないかも

・人と違うことをしていたら仲間はずれになる
 →学校に通えなくなって、将来働き口が見つからなくなって、お金が稼げなくて、そうしたら生きていけないかも

・自分は人より能力が劣っているから、将来人並みに稼げなくて、生きていけないかも


結局、死につながるわけ。

僕自身のやっている「復縁カウンセリング」に関しても
・復縁できない
 →誰にも相手にされなず、一人孤独になって、生きていけないかも

これもつながっちゃった笑
だからこそ、「不安のための不安」になっていないかを確認してみるといいかもしれない。
結局不安はずっとついて回るわけだから


で、どんどん疲れていってしまうわけ
そこでまずは心身を健康にするために
「不安な世界から離れてみる」
がとっても効いてくる


何か頑張りたい気持ちもあるけれども
応急処置になることが多い

それで疲れているなら、いっそのこと離れてゆっくりと休むと良い。

そして、休むと不安は2種類であることに気がついた

①自分由来の不安
②他人や社会由来の不安

①は「ご飯を食べないと生きていけない」のようなシンプルな生存本能。だからこそ、地震対策をしたり、するわけで自分を生かしてくれる良い不安

②は不安が強すぎて心身を壊してしまうパターン。扁理さんの場合

・楽しいこと、好きなことをするのに罪悪感をおぼえる。やりたくないことを多少無理して頑張る
・本心では違うんじゃ?と思っていても自分の感情を黙殺し、相手に合わせる

で、試しにこの不安を無視してみたら、全部ウソだったようです。
楽しいことをやっても死なないし、自分の感情に素直でも死なない

じゃあ、この不安はどこからきていたのか?
というと
自分ではなくて自分の周りの誰かの不安だったんじゃないか??

人は共感する生き物だから、家族や周りにいるクラスメイトなど影響される。身近に強い不安を抱えた人がいると、こっちまでその不安を取り込んでしまう危険がある。

もし、お友達が
「楽しいことばかりしていてはいけない」
「人と違うことをするといじめられる」

と思っていたら、その些細な言動から無意識に自分にインストールされる


この不安って自分のものなのかな?


ということ。

そして
①心身を健康に保つ
②他人や社会の不安を取り込まない

ができたら次にやれたらいいことが
「自己肯定感を高める」

ただ、これって、何やったらいいかわからないし、ちょっと難しい

だったらこれならどうかな?

「自己否定感を下げる」
「否定」に「下げる」とネガティブワードのたたみかけですが笑

自分の言動の中で、自己否定感に突き動かされているものを注意深く選別し、それを一回無視してみる。
自己否定感を無視しても死なないことを確認したら、それを繰り返していく

「自分はダメ」と思っちゃったら
ダメかどうかは色々経験してからじゃないとわからないから、決めつけなくていいんだよ

と言ってみる


結局不安は「死」からくるものだけど、
その不安が的中しても死なないことを
自分に覚えさせていく


でも、不安が大きすぎる時は、
もう何にもやらなくていいからひたすら休む

で後から考えると
あれ?大したことなかったじゃん

ってなる


で、この本では不安について掘り下げてきたけれども、
一番大切なことは不安とうまく付き合えるようになった後のこと。

結局どう生きたいか?
につながってくる

話が大きすぎてすぐには思いつかないかもしれないけど
心や体は子供の頃から知っているもの

・子供の頃、何をしている時が楽しかったですか?
・親に注意されたり、他人や社会に否定されたりして、諦めてしまったことはないですか?

全ての人がこの世界が不安でいっぱいだと記憶してしまう前の
自由な気持ちなのが子供です。

その子供の気持ちを持ちながら大人の知識や経験・判断力を持って自分の世界を作っていくことが出来たら・・・
この世界はもっと面白い世界になるはずです。


*****
というのがこの本のまとめ&感想になります。

ほとんどまとめに近い感じになっちゃった。
ただ、他人の不安がうつってくるというのは大嶋信頼さんの本でも書かれてあったし、
子供の頃を思い出そうっていうのも脳科学コーチングで教わったこと

そして、「自己否定感を下げる」の考え方は衝撃的だった。


隠居してから6年間本を読み続けて、
色々自問自答しながら
自分にとっての理想の生活に近づけていった扁理さんの
到達してるところは本当に高いところだなぁ

と感じる。


色々なしがらみからも解放されている
今まで、自分自身たくさん自己投資をしてきたことが、
全部ここに書かれている!

とさえ思ったし、
究極ここなんだよなぁ

とすら思える。

自分自身、これからどうしたいのか?
それがよくわかっていない。

これは人それぞれだからね。

試しに今少し考えてみる

・子供の頃、何をしている時が楽しかったですか?
自然の中で遊ぶ、ちょっと無理そうな冒険をしてみる(怖かったら戻ってくる)、友達と走り回って遊ぶ、秘密基地に行く、一人でプラレールで大路線網を作る、親に可愛がられている時、「僕こんなのできたよー!」とお母さんお父さんに自慢げに話している時

・親に注意されたり、他人や社会に否定されたりして、諦めてしまったことはないですか?
結構、自分は普通じゃないからダメなんだ」という感覚で無能感があった、発達障害と言われ診断され否定された感じ、人の気持ちがわからないと言われる、普通の大人になれないよと言われる、数学者になりたかったけど凄すぎる人をみて諦める

少しやってみたけれども、まだまだ全然掘り下げられそうな感じがする。
ここからの共通点を見つけていくのもいいし、童心に戻ってやってみる

そうして、自分はどうありたいのか?を少しずつ見つめていきたい
時間はたっぷりあるのだから

不安になっても、不安が的中しても僕は今生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?