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在宅ひとり死のススメ(本要約・感想)

老後はおひとりさまが一番幸せ だと!!???

近所の公民館でなんとなく本棚を見ていたら
何やら興味深い本が


自分は将来結婚せずに一人なのか?
子供はいないかもしれない

最近、孤独でいるのが楽しいけれども、
老後になったら急に寂しくなったりしないか?


それには若い自分がいくら考えていても
答えは出てこない

孤独死を思わせるちょっと怖い感じのタイトルだけれども、
実際にどうなのか???

本を開いたらすぐに印象が変わった

なんと、
「老後はおひとりさまが一番幸せ」
というデータがあった

結局
・夫はずっとテレビばかり見ている、話しかけても返事しない
・夫は全く人の話を聞かない
・妻には感謝の気持ちはあるが口には出さない

などなど、うまく行っていないよう

データでは2人くらしの方が一人暮らしよりも
圧倒的に不満や悩みが多いという結果

満足度:独居73点、同居68点
悩み度:独居1.6点、同居1.8点

(これはかなり女性目線ですが、
 男性目線でも不機嫌な女性がいると気分悪くなりますよね
 喧嘩両成敗なわけです)

同居人の数での満足度も割とシビア

満足度:1人73点、2人67点、3人71点、4人以上71点
悩み度:1人1.6点、2人1.7点、3人1.8点、4人以上1.9点


結局、悩みは人間関係から発生して、そこから満足度が落ちてしまう

さらに寂しさと不安については

寂しさ率:独居30%、同居20%
不安率 :独居40%、同居40%

と独居の方が少し寂しさはあるけれどもそこまで大きくはない

結局、慣れるとのこと


僕自身も一人暮らしをした時に
一人暮らしに慣れてからはあまり寂しさはなかった

ここで、当時は会社に行っていたから
同僚といくらか話していたのが癒しになっていたのでは?
という考察もできそうだけれども、所詮仕事の関係。

そんなに癒しにはなっていないし、
のんびり部屋で過ごす時間が楽しかった。
そうすると、結局「良い孤独」を味わっているとも思える

前に読んだ「孤独」に関する本で
「仲間外れ感」がある時が一番孤独に感じるのだそう

確かに飲み会で話題に入っていけない時とか
隣にたくさん人はいるのに孤独な感じがする。

でも逆に本を一人で夢中で読んでいるときは
孤独で寂しい感じはしない

事実としての孤独と感覚としての孤独は全く異なってくる


自殺率についても独居高齢者よりも同居高齢者の方が高い。
一番寂しいのは気持ちの通じない家族との同居でもある。


さらに子供について

満足度 :子無し78%、遠子72%、近子70%
悩み  :子無し1.43%、遠子1.45%、近子1.6%
寂しさ率:子無し25%、遠子38%、近子37%
不安率 :子無し42%、遠子50%、近子42%

となっている(遠子は遠くに子供が住んでいる、近子は近くに子供が住んでいるの意味)

意外にも子無しが寂しさがない結果になっている
子供がいることや、近くに子供がいることで、
何か期待をしてしまう効果が出てくるのかもしれない


そこで著者の主張している「満足のいく老後の3条件」と合致したようだ。

①慣れ親しんだ家から離れない
②金持ちより人持ち
③他人に遠慮しないですむ自律した暮らし


施設で死ぬことについて


最近は介護保険の発達で、施設に親を預ける人も多くなった
でも、みんな預けられる時に親はとても嫌がる
どんなに良い施設であっても嫌がる

結局、その施設内で共同生活をしていかないといけないから

しかも、「危ないから」という理由で散歩に行くこともできない
完全に生活が施設内で完結している

これって何かに似ていませんか???
そう、刑務所です。


老人ホームは刑務所と同じ性質を持っているわけです。
しかも、出られるのは死んだ時だけ。
まるで終身刑の人みたいになっています

施設で働いている人に
「親をここに預けたいですか」と聞くと「はい」と答えるのに対し
「将来あなたがここで最後を迎えたいですか?」と聞くと返事に窮してしまう

それが、結論なわけです。

経済的な理由を考えても看取りのコストは
病院>施設>在宅
となっています。

そうすると、
やっぱりみんな家で死ぬのが幸せだし、
一人であっても家で死にたい。


ここで大切になってくるのは、
それが本当に実現できるのか?

という話です。


まずは在宅死でのコストから
1ヶ月での自費負担が最高だった例でも月額160万円

これを見るとすごく大きいように見えますが、
これが続いたのは約2ヶ月半
額にして400万円くらい

逆にいうと小金持ちなら余裕で出せる金額
在宅一人死の費用は30万円〜300万円くらい
という試算も出ている

孤独死って怖い?

孤独死はイメージがなんか怖いけれども、実はその定義はない。
あえて作るとしたらこんな感じ

①単身者が自宅で死んで
②立会人がおらず
③事件性がなく
④死後一定期間以上経過してから発見される


③は110番したり119番せずにケアマネや主治医に連絡すれば事件性はないと判断されます。高齢者の死は予測できるものだし、老衰と判断されることが多くなる。
④は訪問診療が2週間に1回〜1週間に2回ほどされていれば、何ヶ月も経ってから発見される、ということは起きえない

②はそもそも死に行く人にとって重要なのか?単身独居の高齢者なら家に一人でいるのはごく普通のこと。一人で暮らして、一人で老いて、一人で介護を受ける、ある日一人で死んでいる。そこまで特別なことではないのではないか?
そもそも同居していても、その死の瞬間には居合わせないことも多いわけだし、施設や病院であっても、巡回と巡回の間に死んでいることもあり得る。
結局「病院内孤独死」になるわけです

結局、こうなると残される側の問題になってくる。
結論から言えば、残される家族側も、前もって心の中でお別れをすればいい。高齢者はゆっくりと下り坂を下るように老衰していくのだから。

認知症の在宅ひとり死を考える

怖いのは認知症に自分がなった時に一人で家で死ねるのか?
という問題。

まずは、
結局のところ、施設入居者の大半が家族の意思決定によるものです。

ほとんどの認知症高齢者が騙されて連れてこられて
「出してくれ」「家に帰りたい」と言います。

でも、これって当然の話。
帰る妄想でも暴言でもない。

例えはあれですが、
突然家族に精神病院や刑務所に連れて行かされたら
私だってそう言います。
誰だってそう言いますよ。

認知症だから、とかそういう話じゃない。

さらに、一人暮らしの認知症の人は
認知症行動や心理症状は軽い傾向にある。

興奮や暴力は明らかに少ないし、
介護拒否や「帰る」妄想、物取られ妄想や嫉妬妄想もない

家族がいる場合とは違って
日々指摘を受け続けるストレスも少ないわけ


問題は一人で暮らせるか??
生活ができなく慣れば訪問介護を頼めばいい

訪問介護に入って貰えば、食事も入浴もできる
馴染みのあるヘルパーさんなら施設のように抵抗することもない


自分で食事の用意ができなければ配色サービスをお願いすればいい
認知症の人でも食事を出せば目が輝きだす

食べられる間は食べて下り坂を降っていき、
食べられなくなったり、寝たきりになったら
認知症があろうがなかろうがケアは同じになる

実際にそうやって独居の認知症高齢者を
在宅のまま見送った例も多くなってきた

ここまでの話で、家族側としては、高齢在宅一人暮らしの親を事実上「虐待してる」とみなされない工夫が必要かと思いました。そこについてはケアマネとの話し合いが大切になってくるのでは?と思う


認知症の問題行動について

認知症の問題行動については気になるところ
ケアマネやヘルパーさんから「在宅の限界」という言葉をよく聞く

それは、いつ誰がどのように判断するのか?

具体的な「在宅の限界」について聞くと「異食行動」とのこと
まぁ、変なものを食べちゃうってやつ

聞いたら「夜中にお腹を空かせて冷凍食尽を齧った」とか
別に死ぬわけじゃないし、途中でやめると思うからいいのでは?

洗剤やうんちを飲んだりしたら、匂いや味で吐き出すし、
致死量に至るまで飲むとは思えない


ある日、利用者がスッポンポンで現れたよう。
その時は夏の酷暑の時期だった。

エアコンをつけない人もいる中、
そう押した暑さ対策をするのも
一応理由があるわけ
(もちろん、意図したセクハラはダメ笑)

そして、家でお年寄りが一人でスッポンポンでも
死ぬわけではないし、誰が困るというわけではない

結局、ケアマネは「私たちが困る」と言った。

周囲の目があるから

それって、もう話が違っちゃっている

少々見苦しいところはあるかもしれないけど、
気を許したヘルパーさんだからこそ、
気を許してスッポンポンで出ちゃったのかもしれない。

少々見苦しいと思うのは周りの人ってだけ。

他の異常行動としては
トイレ以外でのうんちやお漏らし

結局、トイレの位置がわからなかったり、
探している間に漏れてしまうケースが多い

そして、プライドを守るために糞尿を隠すということに

でも、糞尿問題は同居している周りの人が嫌がるだけで
一人で暮らしていく分には何も問題ない。

たまに来てくれるヘルパーさんが掃除すればOK

結局は家族側の覚悟の問題になってきている

そもそも、自宅はお年寄り名義のものになっている
後からきた子供が「介護」と言って住み着いて、
親を施設に送り出す。

後から来たものが先にいたものを追い出す
やっぱり変なわけですよ。

一緒に暮らすのが嫌ならば、
若い人が出ていけばいいし、
若い人はどうにでもできるわけ

感想

この本を読んだことで、
自分の死に際はどうなるのか?
についてとても具体的に考えることができたな
と感じた。

実際にわからないことだらけの老後
50年くらい先のことで、
その時は国の制度がどうなっているかわからない

でも、わからないからってわからないままにしておくのは
いつまで経っても怖いだけ

現状は現状として正しく認識して、
ピンピンコロリはできないものとして、
いかにして老いていくか?
を向き合うのにすごく良かった。

先日読んだ、100歳の一人暮らしの
おばあちゃんの本にも通じるところがある

本の中には尊厳死についても語られている。
実際に「こういう医療行為をしてくれ」とある時点で思っても
実際にそうなったら迷いが発生するかもしれない。

最終的に、医療行為の有無は家族に委ねられる
自分の人生の意思決定問題はとても難しい

まだ、自分自身は30代の若さだけれども、
親に「死ぬ時はどういう状況がいい?」
と聞いてもはっきりしない返事になる。


それを自分自身に置き換えてみると、
やっぱり同じ返事をしてしまうなって思う。

交通事故に遭って、植物状態になったとしたら?
どうする?

そんなの、そうなった時じゃないと考えられないよ!

それがある意味で正常だと思う。
だからこそ、著者は「最後まで迷い抜けばいい」
と言っている

生まれるのに自己決定はなかった
死ぬことにも自己決定があると思うのは傲慢だと思う

そう言っている

確かにその通りかもしれない。

どう死ぬかはどう生まれたかとすごく似ている気がする

赤ちゃんはお母さんのお腹から生まれて、
臍の緒を切られた時にギャン泣きする
(本当は切っちゃいけないとか聞いたことがある)

で、多分僕もギャン泣きしたんだと思う
でも、その時の辛い感じは全く覚えていない

これを読んでいるあなたも覚えていないと思う
結局はそういうことなのかもしれない。

うつらうつら、よくわからない感じになって
それこそ、起きている時と眠り始める瞬間の区別がつかないように
わからないうちに生物は死んでいくのかもしれない


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