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自動運転の是非を真面目に考えるべき時に来ている

どちらを救うか?

まず大前提として、どちらかを救うのではなくて両方を救う。ただし、その程度が異なるということ。
その上でなんだけど、突然飛び出した5人のために、なんの関係もないたまたまそこを歩いていた歩行者が巻き込まれていいのか?
そう考えたら正解は余計なことはせずに最大限の減速
どう考えたって無関係の人が被害に遭うことは絶対に許されない

それ以前の問題

ただこの記事に関しては、自動運転技術の問題点をわかりやすくするために極端な例を挙げているということを承知の上でなんですが、この事例を回避できないようでは自動運転なんて許してはならない。
国やメーカーがどういう指針を示しているか、最近はそこまで追いかけていないのでわからないですけど、少なくとも自動運転によって交通社会におけるリスク全般が減らせないのであれば、自動運転に本質的な価値はない。
この事例であれば、5人の飛び出しを予見して危険を回避できる程度に減速してなければならないでしょう。
カッコつけるわけでもなく、盛るわけでもなく、僕なら回避できてる。そして、そう考えるドライバーは多い(と思いたい)はず。
ただ、人が運転していると残念ながら100%ではない。それを100%の精度で回避するのが自動運転であるべき。

プログラマーの責任

場合によってはプログラマーが責任を問われる可能性もあると書かれている。実際には仕事としてやってるわけで個人が責めを負うことはないと思うけど、この事例のような状況で事故が起こった場合、やっぱり嫌な気持ちになると思う。
どんなに頑張っても予見し得ない問題は起こるわけで、それを全部背負ってたらやってられない。
そう考えたらドイツの「事前のプログラミングはすべきではない」というのは、開発者にとっては救いになると思う。
でもそれなら自動運転なんて絶対だめでしょ?

国と社会と法の責任

記事の後半に

自動運転に特化した公的な指針の策定について、国交省の担当者は「まだ時機ではない」と話し慎重な姿勢を示す。

Yahoo!ニュース

と書かれているけど、とっくにその時期は来てる。現にレベル3のクルマが走ってるんだから。
ITS関連で国交相の動きが遅いのは知ってるけど、それに輪を掛けて関連省庁が責任逃れのためにダラダラやってなし崩し的にやっちゃうんでしょ?
仮にいろんな制約が出来たせいで技術の発展が妨げられるとしたら、その技術は作っちゃいけないものなんだよ。
どんなに自動運転が発展しても人が運転する車と共存するし、歩行者、自転車、バイクも共存する。制約なんて無数に出来て当たり前。
その制約を全部絞り出すくらいやらない。
制約の中で完全なものを作って安全になればそれが一番いいんだから。

高齢者問題

自動運転の話のたびにこの高齢者問題。
これって自動運転を発展させていくための言い訳やと思うのよね。
これだけ仕事がないって言ってる人が多いのだから、人件費がかかると言ってもコミュニティバスとかの運用に人材を回せばいい。
人の温もりを感じられるサービスじゃないと、過疎+高齢者問題は解決しないんじゃないかな。
とりあえず街まで出られるけど無機質で融通の効かない無人バスより、とくし丸に来てもらっておしゃべりしながら買い物する方がいいやん。
仕組みだけ作って後は知らんってなるのが目に見えてる。
そんなことのための自動運転技術はいらない。

社会受容性

この記事にも何度か社会受容性と言う言葉が出てくるけど、行き着くところはそこなんだなって思う。
確かに今の社会は車という危険な乗り物をほとんどの人が受容してる。乗る人も乗らない人も。
でも実際には受容しているというより、大半の人にとっては気がついたら目の前にあったものやと思う。
ところが自動運転は今社会に入り始めているもの。社会を変えようとしているもの。
本当に社会に必要なのであれば受け入れられると思うけど、多くの人にそう思ってもらうためにはそのメリットを知らしめて行かなあかん。
メリットはいろいろあって、長距離の移動が楽になるとか、タクシーがもっと便利になるとか、移動中に他のことができるとか、利便性がフューチャーされやすいと思うけど、それは人によっては全く魅力のないものかもしれない。
それより、誰もが享受できるメリットとして今よりもっと安全になると社会に向けて明示することができれば、受け入れられるんちゃうかな。

今は無理

今回の記事は極端な例だとしても、問題は山積してる。
僕は以前テレマティクス関連の仕事をしていた(といっても10年以上前)けど、当時から高精度地図と準天頂衛星を使って自動運転って話はあって、最近は聞かないけど車車間通信、路車間通信によって互いの位置を把握して危険回避って考えもあった。
それらを議論する中でよく言っていたのが、全ての車が自動になって、人が介入しない状態にならないと安全は確保できないということ。
現実には二輪や歩行者がいるので無理なんだけど、少なくとも車に関してはお互いが想定外の動きをすることがなくなるので、安全になる。
でも限定的でしかないから、個人的には車車間通信、路車間通信に期待してた。そうしたら二輪との信号のやりとりができるし、歩行者の情報も道路から伝わる。
いつかそうやって本当に安全な交通社会ができるなら、その時は自分で運転することも喜んで諦める。
でも今は無理やし、ある日突然切り替えることもでけへんから、人が運転するものと自動運転が共存する。
いつも思うことやけど、どうやって自動運転の車と意思疎通すればいいのかわからんし、横から出てこようとする車にドライバーがおらんかったらやっぱり焦る。
その辺を解決してくれない限りは、自動運転を受け入れるのは無理なんちゃうかな。


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