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一斉休校は「学校を開く」きっかけになったのかも

つい数日前まで誰も予想していなかった一斉休校なんてものが実際に始まってしまいました。それには納得していませんが、何か少しでも良いところを探してみると、一斉休校は「学校を開く」きっかけになったのかもしれません。「学校を開く」とは、麴町中学校の工藤勇一さんが提言している考え方で、学校と社会がシームレスにつながること、社会に生きる色々なステークホルダーが学校に入ってくること、そういったことです。

「学校を開く」きっかけになったかも…というのは?

まずひとつは、学校というものを分解して考えるきっかけになったと思います。学校を構成する要素には、物質的には、教室、教員、教材、級友、給食、などがあります。意味合い的には、安全な場所、子どもが集まる場、学ぶ場、成長する場、というものがあります。

そしてそれらは、他のものでも代替しうることが次々と明らかになってきたのかもしれません。オンライン教材や学習動画は次々と無料で提供され始め、先生とのやりとりもオンラインで対応可能、先生同士の情報共有、いわば職員室もオンラインでできてしまう、ユニークなところでは”勉強する時間を共有する”サービスというのもありました。また、給食代わりにおにぎりやお弁当を提供する企業や飲食店も現れました。つまり、学校で行われていることは、他でもできる、他にも担い手がたくさんいる、ということなのです。

じゃあ学校の本質的価値って何?

他のものでも代替しうる、他にも担い手がいた、ということになると、じゃあ学校って何だっけ?ということになります。周縁部分がそぎ落とされたとき、本質的な核の部分には何があるのか? そのことが今、問われていると思います。

おそらく、その学校なりの本質的価値を言語化できている学校には人が集まり人気が高まる一方で、それが無い学校には暗い未来が待っているのではないでしょうか。

今回の一斉休校の報道をよく見れば、自治体ごとの対応の差が見えてきます。学校ごとの違いも今後可視化されるでしょう。これを契機に「学校が社会にどう開いていくか」そして「社会は学校に何を求めていくか」考えるきっかけになったような気がします。

補足:他のもので代替しうるサービス色々


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