僕と野球の10の物語⑨
僕はリハビリ教室に通いながら、野球スクールに通っています。
父は夜仕事が終わると急いで帰ってきます。そして疲れ1つ見せずに僕のことを野球スクールまで送ってくれます。嬉しくて車の後部座席で少し涙を流したことを覚えています。
スクールでは体の正しい使い方などを学びます。学びを得てからプロ野球や大学野球なんかを見ると納得する部分がたくさんありました。
また、スクールに通うことで出会いもあり、たくさんの刺激を受けました。
「前田健」さんという球界では有名なトレーナーさんの設立したBCS ベースボールパフォーマンスで練習を行いました。
肩の痛みのため、投げることは出来なかったものの、シャドーピッチングのフォーム、バッティングのフォームは生まれ変わりました。
でも、気づけば中学生最後の夏が近づいていました。間に合わない。薄々分かっていました。でも頑張るしかありませんでした。
正直、今の生活の居心地がとても良いとも感じていました。極端な早起きも要らない。友達と過ごす時間もある、好きな野球で怒られることもプレッシャーも無い。そんな感情でした。
きっと自分一人だったらこのまま野球を辞めていたことでしょう。でも親にもう一度輝く自分を見せたかった。もう一度マウンドに上がりたかった。
夏の試合には背番号20でベンチ入り。チームは関東ベスト16でした。嬉しいけど、素直に喜べない。自分は何もしてないから、、、
父と僕の目標は高校で活躍すること。それで今までの涙、苦労、悔しさ、すべてが報われるはず。
中学校の夏休み、自分にできる練習を反復して練習。
主にストレッチや走り込み、素振り、バッッテイングです。
「リハビリ中も行ってたメニュー」・毎日10㎞ランニング・風呂上がりのストレッチ・素振り90本・時々バッッテイング です。
素振りは、ストライクゾーン9か所に対して10本ずつを様々なケースを想定して、フォームを意識して行いました。数の多さにこだわると時間もかかり集中が持たないからです。
そして、3校、高校の野球部体験会に参加します。
・日本大学付属校 偏差値 63・市川の進学校 偏差値 70超え・明治大学付属校 偏差値 68
体験会内容については別途紹介いたします。
日本大学附属校の体験会後、中学と通っていたシニア、親の所に高校の監督から電話がありました。
是非とも入って欲しいとのことでした。
少し努力が報われた瞬間でした。
体験会はバッティングが好調。
足は陸上で鍛えたこともあり、周囲とはかなり差をつけることができました。
問題のピッチング、この日に向けてたくさん練習をしました。スリークォーターで投球をしました。
球種はストレート カーブ 決め技のフォークです。
フォークを投げるためにお風呂で指のストレッチなどはかなり行いました。
当時高校2年生の正捕手に受けてもらいました。
この日から自分は日本大学附属校に行くことを決意しました。そして入試も無事突破。
高校野球生活が始まります。
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