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僕と野球の10の物語⑧

神経障害と診断され、自然と涙が出てきたのを覚えています。

まさか自分がテレビで見るような大きなけがをするなんて思ってもいませんでした。でも少しほっとしたのを覚えています。自分の言い訳が見つかったからです。投げれなかったのは怪我のせいだったんだと。

「怪我でしばらく練習に出れません」。とシニアの監督に親と報告に行きました。すると一瞬、一言の返事。「ハイ」。そういうと監督は部屋から出ていこうとしました。すると励ましの声がくると思っていた当時の僕は悔しくて、泣いてしまいました。けがをしても。気にもかけてもらえない。そんな立場に自分が立っていることを感じたからです。辛かった。必要とされていないと感じた瞬間でした。

それでも野球は好きだ。もう一度マウンドに帰ってきたかった。

すると、同じチームの子のお父さんが一人駆け寄ってきた。その子のお父さんは、日本大学第一高等学校の元野球部の監督で、甲子園にチームを連れて行った実績のある、すごい方です。要件はこうだ、おすすめの病院があるから、そこで診てもらいなさい。そこでしっかりとリハビリをして来い。

僕は気にかけてもらえることがうれしかった。この子のお父さんは僕が活躍していた時も何度かアドバイスや、練習を一緒にしてくれたりなんかもした。

リハビリに通う毎日は僕の今までの生活をガラッと変えた。中学校の友達とも放課後、遊べるようになり、早起きしなくなり、練習も、出来ないからしない。なんか違う人生を歩んでいる感じで不思議でした。野球をやっていなかったら、こんな生活を送っていたんだなって、思いました。

でもきずくんです。野球が好きだな~と。本当に再認識した期間でした。もう一度みんなと野球がしたい!と心から思えました。

僕はリハビリ期間を活かして、お父さんとも話し合い、野球教室に通うことになりました。そこはメカニズムを教える教室でした。身体の正しい動かし方などを実際に練習しながら、修得していく教室です。

そこには、名門のシニア・ボーイズからの人がたくさんいました。

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