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昭和の代筆屋
大河ドラマ「光る君へ」
紫式部・まひろが京の街なかで
恋文を代筆するシーンから
回り舞台のごとく
千年先 昭和の恋文横丁に飛んだ
![](https://assets.st-note.com/img/1706253541835-J8ZenqfhPj.jpg?width=800)
恋をかたるに
歌をよむ素養が決め手だった平安の世
これは今でも変わらない
戦災で焼け野原となった渋谷にバラック街が生れ
その一角に代筆屋が登場した
朝鮮戦争が始まり
駐留軍のアメリカ兵と恋におちた女性の
その思いを本人に代わり手紙を書いたり
訳したりするために代筆屋が生まれた
そのひとり菅谷篤二さんは
戦後、渋谷のバラック横丁で
先ずは古着屋を始め
やがて英語と仏語が得意なので
代筆する恋文業が本業となった と語る
そして恋文横丁が誕生した
![](https://assets.st-note.com/img/1706253579776-sy7tjqb8Eb.jpg)
じつは、僕は丸坊主のまま田舎から
東京へ進学して
渋谷の恋文横丁によく通った
代筆屋ではなく
カウンターだけの中華料理屋の餃子が
安くてうまかったから
また 友人の店がこのちかくで
呉服屋を営んでいて
ここでも油を売っていた
今でも思いだす
サイホンで落した美味しいコーヒーを
初めて味わったのも横丁ちかくの
バラックの喫茶店であった
![](https://assets.st-note.com/img/1706253652697-7vMBAayl0G.jpg?width=800)
*三枚の写真は、Webよりダウンロードしたものです
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