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函館山
戦後まもないガキのころ、なかまと探検気分で枯れ木をつえに、柵をこえて函館山要塞の地下連絡路に潜りこんだことがある。
人がやっと通れる幅で天井もひくく、はるか先の穴からもれる光をたよりに暗やみのなか腰をかがめてこわごわ進んだのであった。
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この山に要塞が築かれたのは、日露戦争のまえであった。
開戦の翌日、はやくも津軽海峡に姿をみせたバルチック艦隊の巡洋艦は、眼下の海をゆうゆうと航行して米をはこぶ日本の船をしずめ、市民をパニックにおとしいれた。
ロシアは要塞砲の弾がとどく距離を知っていたのだ。また、太平洋戦争のとき、米軍機は上空を自由にとびまわり港と街をおそった。
要塞があった半世紀のあいだ、海峡に浮上した潜水艦に七、八発、撃っただけとか…。戦いには張り子の虎も、山の自然保護には大きな存在となった。
軍事機密への立ち入りはもちろん、スケッチも撮影もご法度であった。
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江戸のころから伐採と植林をくりかえしてきた函館山。
松前藩は収入源にと木を切りたおしたため、ペリー艦隊に随行した画家ハイネが描いたように禿山となった。
そのあと函館奉行や豪商・高田屋嘉兵衛などが杉の植林につとめている。
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今では、自分の足で山に一歩ふみいれば、渡り鳥のさえずり、一輪の野花、木漏れ日、森の静寂がまっている。
散策してスローライフを味わうのも良い。
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