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枯れ寂びライカ Japan

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ネットで遊んでいたら、ロマネ・コンティ1億2千万で売り出されていた。その高額に腰を抜かした。さらに、1945年生れでなんと71年もの。これで腰がくだけた。
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#一度はいきたいあの場所

ロマネ・コンティ1945

ネットで遊んでいたら、 ロマネ・コンティが1億2千万で売り出されていた。 その高額に腰を抜かした。 さらに、1945年生れでなんと71年もの。 これで腰がくだけた。 世界大戦が終わった1945年、稀なる好天気でぶどうの出来は最高。 空前絶後の当たり年にロマネ・コンティは、たったの600本。 そのなかで、いま1億円ほどの3リットルボトルは2本だけ作られ、 その1本が妖怪のごとく日本に現われた。 「わいんばー・ギンザ」。 銀座コリドー街で営んで開業35年、ワインバーの草分けだ

太宰治とストーブ列車

真っ赤に燃えるだるまストーブの金網にスルメを乗っければ、 ほどなく白く細い煙がたち反り返って、食べごろだ 十三湖のスルメを咬んで地酒でほろ酔いのままに 極楽列車は雪原をゆく 津軽の冬の風物詩、津軽鉄道のストーブ列車は 五所川原と津軽中里を一時間あまりでむすぶ 途中、金木で下り、太宰治が生まれ育った 斜陽館に立ち寄った 大地主の家だけに豪邸だ 津軽の風土と太宰の出自は 四度も自殺未遂をくりかえした彼の生き様に どんな係わり合いがあったのだろうか

御沈酔される上皇

握りこぶし大の丸い平たい石が ぎっしりと水ぎわを埋め ずっと先まで広がっていた 桂離宮のちまちまとした州浜とは、おおちがい ここは、仙洞御所の南池の州浜であった 天皇を退かれた後水尾院の御所として 江戸の初めに築かれた仙洞御所 なんども火災にあい改修をかさねてきた 小田原の藩主は  湯河原の海岸で米一升を日当に  長円形の平たい小石を領民に集めさせ「一升石」の逸話がうまれた   その数、11万個あまり  ひとつひとつ真綿でくるみ俵につめ2000俵を献上した 1643年