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【ギフトに生きるデザイン思考】Giftedな人生を満喫するには?

最近お友達になった「ギフトに生きる」を実践されているHiroshiさんから、Takaさんの生き方や働き方にも通ずるものがあれば、是非ギフトに生きるをテーマに書いてみて欲しいというお題を頂きました。そこでギフトについて考えてみたところ、私自身が実践している創造的逆説思考に通ずるものを感じましたので、今回はそんな私なりの”ギフトに生きる”について書いてみたいと思います。

所有格から解放された世界の拡張性

ギフトと聞いて最初に思うこと。例えば土地。この地球上の土地は本来誰の所有物でもなく、自然からギフトされたものであるはずです。なのに土地は、お金を払って誰かから買い取るのが普通になってしまった。このことに昔から強く違和感を持っていました。アメリカの先住民族の言語には「自分の」とか「誰の」のようないわゆる所有格が存在しないと聞いたことがあります。直感的に、所有という制約から解放された世界には、所有という制約のある世界を遥かに超えた拡張性があるように感じます。

そしてつくづく思うのはこの世の中には常に陰と陽の関係のような背反性が存在するということ。手に入れようとすればするほど遠ざかり、期待すればするほど裏切られる。量子の世界の位置と速度の関係にも似ている。私が創造的逆説を取り入れる理由もここにあります。土地の場合も、ある程度の広さの土地を所有すれば、次はもっと広い土地を手に入れたいと思うかもしれません。つまり「所有すること」が「渇望を生み出す」という背反構造がある。所有していなければ、そんな渇望とは無縁のまま生きて行けます。

意思や意図に縛られないGiftedな人間という存在

またギフトという言葉。米国でGiftedと言えば「持って生まれた、恵まれた何かを持つ」という意味になります。天から与えられた運や才能。これをもっと大きく解釈すれば、人間そのものがGiftedな存在だと思うのです。誰も自分で「よし!生まれよう」という意志を持って生まれてきた人は(少なくとも私の知る限りは…笑)一人もいない。自分の意志でない以上、それは与えられたものであると理解するのが自然です。別な言い方をすれば人は本来、意思や意図から解放されたGiftedな存在であるとも言えます。

私の場合はデザインという能力も与えて貰った。美大に入ろうと思ったのは自分じゃないか、デザインのスキルを高めるために自分も努力もしたんじゃないのか?と思うかもしれませんが、それすらも自分の意思や意図を超えた様々なチャンスの連鎖の結果に過ぎないと思います。人間の意図や目的意識の範疇を超えた何かであるからこそ生きることには無限の価値がある。生きることそのものが無限の価値を持つギフトであるといつも感じます。

マーケティングをしない理由

ギフトに似た考え方で言えば、弊社POVの実践するオリジナルのデザイン思考ワークショップの中に「採算度外視のススメ」というプログラムがあります。短期間での採算性を敢えて軽視(無視)して創造価値の最大化に注力することで、結果として後々返ってくるリターンを大きく出来るという自身の経験に基づくエクササイズです。前回、弊社POVはマーケティングをしない、という話をしました。マーケティングとは言い換えれば報酬への期待だと思います。

多くの報酬を期待して自分を高く(或いは安く)売り込もうとすれば現実とのギャップが生まれ、そのギャップが大きいほど自分への評価を結果的に下げることになる。それよりも自分の素直な創造欲求を満足させた創作物を創れれば、それが雄弁に語り、それを喜んでくれる人を増やし、結果的に予期せぬほど多くのリターンに繋がるということを多くの経験を通じ学びました。ここにも「多くを期待すること」が返って「報酬を少なくする」という背反構造があります。

見返りを“全く”期待しない喜びの共有

自分も、自分の能力も所詮は天から与えられたもの。その能力が可能にする最大の喜びを満喫できていればそれが最高の幸せとも思う訳です。その意味で、私にとって、生きることや働くことは常に「見返りを“全く”期待しない喜びの共有」だけにしておきたい。(“全く”という点が重要) そしてこの「見返りを“全く”期待しない喜びの共有」こそが自分にとってのギフトなのではないかと思ったりします。

先日話題になっていたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ハーバード大学が75年に亘り研究し続けてきた人の幸福についてのレポート。「人にとって何が最も幸福か」の結論は「同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること」だったと言います。個人的にはコミュニティ内に限らなくても良い気もしますが、資産の多寡でも、権力でも、地位や名誉でもないこの結論にはギフトにも通ずる一定の納得性があるように思います。

そもそも、カネのために創るのではなく、創りたいから創るのがクリエーターの本性。創ることが喜びだから創る。そして自分には幸運にしてそうした創造行為がたまたま可能であるというだけのこと。このことに感謝し、日々、意識や目的や評価といった制約から自らを解放して、自分なりのギフトの交換をしながら生きていきたいと思います。
※誰かからお題を貰って書くというのも良いものですね!これもギフト!

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