Wakatteと人間の優劣

初めてのnote投稿なので拙い部分があると思いますが、読んでいただけるとありがたいですm(_ _)m

人の能力の差は主観的なものか客観的なものか
見下す人がいて初めて、能力の優劣がついているのかと言われれば、そうでは無いと思う。全ての生物は競争しており、弱ければ淘汰される。だからこそ、能力差は客観的である。
この前提をふまえて、wakatteのアベプラ出演回を振り返りたい。
この回では、基本的に低学歴の人に心無い言葉を浴びせて、傷つけるコンテンツはよくないという正論に、wakatteは為す術なく、全ての演者からボコボコにされた。
この正論は言うまでもないのだが、議論としてはすごく不毛だと思う。成田さんは学歴とか無くなればいいに近いことを仰っていたがそれでいいのだろうか。
ここでテレビのバラエティについて見ていきたい。運動神経が悪い、絵心がない、男やのに短大、おもんな〜いなど、人を傷つけるお笑いというのは割と存在する。じゃあなぜこういうコンテンツが無くならないかと言うと、芸人だけでなく、それを見ている視聴者にも問題がある。これを見て笑っている視聴者も人の不得手な部分を馬鹿にしているのではないか。
たしかにこれは馬鹿にする対象が芸人だから許される可能性がある。しかし、本質は同じではないか。大半の人は誰かを馬鹿にして笑ったことがあると思う。
そういう誰かを傷つけかねない思考回路を人間は持っている。
こういうできるやつができない奴を馬鹿にするのはよくある事象なのにそこは指摘せず、あからさまなwakatteは正義面のコメンテーターにボコボコにされる。これは正論を盾にしたいじめだろう。
たしかにwakatteの炎上案件はほとんど擁護の余地がない。ただ、通常の動画を見てないコメンテーターが有名な事件だけを見て、wakatteに悪者のレッテルを貼ってるように僕は見えた。
ここからは僕の持論だが、バラエティの劣等いじりが許されるのは、その内容が運動神経や絵心など、生きていくだけならなくてもよい項目だからではないか。それに対して、容姿はポリコレとかで結構指摘されている。これは容姿が運動神経とかより重要で人の根本的能力に近いからだろう。そうすると、学歴いじりをシビアに捉えるのは、逆に学歴というものを人間本質の近くに置いてしまっている。学歴いじりをお笑いにならないとして真剣に否定すると、学歴が人間の根本能力と近しいとなってしまうのである。

現実問題頭が良い人も悪い人もいる中で、そのどうしようもなく残酷な差異を見ないふりはできない。wakatteは残酷な人間格差に真っ向からぶつかっているのかもしれない。

僕はかつてwakatteの視聴者だった。正直別にwakatteがなくなっても誰も困らない。(僕は思い出補正でちょっと寂しいけど)ただ、wakatteの行為を否定するのは、もう少し深く考えなければいけないと思う。もちろん誰かを傷つけかねないwakatteを我々は真似してはいけない。しかし、wakatteと同じように人間の能力差に気づいた時点で、我々はwakatteと同じ本質が心の中にあることに気づかないといけない。
人間の優劣を悟った時否応なく誰かに同情したり、見下したりしてしまうことを、僕は悪だと思う。この不都合な事実を公共の場でwakatteが風刺しているのだとしたら、これはwakatte唯一の存在意義と言えるかもしれない。

最後におまけの理想論を語るならば、人はナンバーワンではなくオンリーワンという言葉を引用するしかない(現実そんな簡単じゃないけど)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?