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日本に“インクルーシブ教育”は根づくのか。障害者と共に生きるイタリアの現場から (2)


人生には勉強よりも大切なものがある

 2007年9月、Kanaさんのイタリアでの学校生活が始まりました。

 イタリアの教室には、障害児への行政の手厚いサポートが整っていました。

 学校ではKanaさん専門の支援教員がつき、授業の理解などを手助けします。学校だけではありません。フィレンツェ市は社会福祉士兼家庭教師に相当するスタッフを週2回(毎回2時間)、自宅に派遣。宿題などをサポートします。これらの支援は無料です。

 充実しているのは、制度だけではありません。

 イタリアの学校では、健常児と障害児が一緒に机を並べています。手足の不自由な子がいれば、話せない子も寝たきりの子もいます。また、アフリカやアジアからの移民の子もたくさんいます。

 つまり、違っているのが当たり前。イタリア人は「世の中にはいろんな人がいる」ことを理屈ではなく肌感覚で知り、自然と多様性を受け入れていくのです。

 もちろんKanaさんも、ひとりの生徒としてクラスに溶け込んでいました。言葉が理解できず、状況がつかめなくて困っているときも、クラスメイトが手助けをしてくれて、泣いてしまったときにも優しく慰めてもらっていました。

 こういう場所には、いじめは存在しません。むしろ、いじめるような子がいたら、その子は学校にいられなくなるでしょう。

 私にもふたりの子どもがいます。外国人である彼らはいじめに遭ったこともなければ、見たこともないといいます。

 クラスに障害者や移民がいることで、授業の進行が遅れることもあるでしょう。しかし健常者の保護者から、「彼らを排除しろ、隔離しろ」という声が上がることもありません。それは彼らを、社会や授業の障害だと考えていないからです。勉強も大事ですが、それよりも大切なことが人生にはあるということを、この国の人々は知っています。

 母と娘ふたりにとって、1年だけのつもりだったイタリア生活。しかし、3人のイタリア生活は今年11年目を迎えました。

 1年のイタリア勤務を終えて、夫は日本に帰っていきました。しかし、父と離れて暮らすことになっても、母子3人はイタリアに残りました。それくらい、この国の居心地がよかったからです。

 小学校を卒業して、「カルドゥッチ中学校」に進んだKanaさんは、運命の先生と出会います。

 同中学専属のベテラン支援教員であるセルジョ先生は、中学入学直後、N子さんにこう告げました。

「1年で日本に帰るなら、私は面倒を見ないぞ」

 N子さんは、この言葉を次のように解釈しました。

「学校は、子どもを心身ともに成長させて社会へ送り出す責任を担っています。だから先生たちは子どもの教育を真剣に考え、国もしかるべき予算を割いている。いずれ日本を生活の拠点にする人にそこまでの支援はできない。そういう意思だと受け止めました」

 このセルジョ先生の言葉によって、N子さんはイタリアで長く暮らしていくと決意したのです。


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