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日本に“インクルーシブ教育”は根づくのか。障害者と共に生きるイタリアの現場から (1)


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 「カルチョ」と呼ばれるイタリアのサッカーにのめり込み、1998年、フィレンツェに移り住んだ私は、なによりもまずイタリア人の奇妙な生態に面食らいました。中世そのままの佇まいが美しい街角を散歩していると、あちこちで人が犬にしゃべりかけています。


 日本でもたまに見かける光景ですが、イタリアではやたらと多く、しかも「会話」の時間が恐ろしく長い。言葉のわからない犬をつかまえ、延々としゃべり続けています。こう書くと、イタリア人が度を超した犬好きだと思われるかもしれません。たしかにイタリア人は犬が大好きです。しかしやがて、それだけではないことがわかってきました。


 犬にしゃべりかけるイタリア人は、言葉がほとんどできなかったアジア人の私にも、委細かまわずしゃべりかけてきました。バス停でバスを待っていると、見知らぬおばちゃんが「あんたあんた」と近づいてきて、ひとりで勝手にしゃべり出す。「イタリア語、できません」といっても気にしません。


 迷子になってキオスクのおじさんに道を聞けば、「それなら、こう行くのが近道だ」と教えてくれたはいいものの、「ところで週末の試合は見たか?」とサッカー談義を始めて私を放そうとしてくれません。
 イタリアは一事が万事、この調子。


 しかし、やがてわかってきました。イタリア人は、いつもだれかにしゃべっていたい。犬であろうと見知らぬ外国人であろうと、だれかと一緒にいたいのです。


障害児と健常児が同じ教室で学ぶのが当たり前


 多くのイタリア人は、自分と他者との間に垣根を作りません。来るもの拒まず、自らも相手の懐に飛び込んでいく。そこには「どう思われているだろう」、「嫌われたらどうしよう」といったわずらいがなく、後腐れもありません。話が長くなるのはご愛嬌。私はそんな温かくも風通しがいいイタリアの社会が好きになり、気がつけば20年経っていました。


 他者との間に垣根を作らないイタリア社会。ここでいう「他者」には、移民や障害者といったマイノリティや社会的弱者も含まれます。


 私のご近所さんに、日本からやって来たN子さん一家がいます。
 夫の仕事の関係でN子さんがふたりの娘を連れて、フィレンツェに移り住んだのが2007年4月のこと。引っ越しを終えたN子さんは、まず7歳の長女Kanaさんが通う「カイローリ」小学校の校長先生に相談に行きました。というのもKanaさんはダウン症患者だからです。


「Kanaの入学を許可していただけるのでしょうか……」
 N子さんが意を決して切り出すと、校長先生は不思議そうな表情を浮かべていいました。
「どうしてだめなの?」
 実際、普通学級への編入にまったく支障はなく、そのことにN子さんは驚きました。障害者の受け入れ体制が、日本とはまったく違っていたからです。


 日本での小学生時代、Kanaさんは特殊学級で学んでいました。両親は健常児と同じクラスで学んでほしいと考えていましたが、その願いはかないませんでした。「せめて音楽、体育と給食の時間だけでも……」とお願いしましたが、これも実現しませんでした。これは先生方が無理解だったというより、学校側の体制が整っていないということが大きかったようです。


 また日本の行政では、場当たり的な対応も少なくないようです。療育センターに入学手続きに行くと「重度の障害者だから普通学校は無理ですね」といわれ、一方で障害者手帳の交付手続きのために児童相談所で程度判定を受けると「軽度の障害でよかったですね」といわれる。つまり、重度と軽度を都合よく使い分けているという声も聞きます。


 ところがイタリアの小学校は、障害者でもあり、外国人でもあるKanaさんのすべてを受け入れてくれました。
 日本とは、なにもかも違う……。
 そのことがわかってきたN子さんはやがて、イタリアに根づく「インクルーシブ教育」について知りました。


 インクルーシブ教育とはひと言でいうと、「障害児が健常児とともに学ぶ」こと。この言葉は近年、日本でも知られてきましたが、イタリアでは世界に先駆け、1970代初頭から力を注いできました。


 イタリアの憲法では「障害児の教育権・学習権」、つまり障害児が地域の学校の普通学級で教育を受ける権利と学習する権利が保証され、教育機関には障害児者を受け入れる義務と責任があることが明文化されています。
 障害者は一般社会の中で暮らしてこそ病状が回復し、潜在能力が発揮され、コミュニケーション能力が向上する――。


 これがイタリアのスタンスです。


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