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【育成のこと諸々】


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朝、目を覚ましたとき、ベッドの上で体を横にしたままぐーっと全身を伸ばして、フーッと息を吐いてリラックス。そのあともしばらく(1、2分くらい)ゆっくり横になってから起きる。で、すぐに身長を測ってみましょう。朝ごはんを好きなだけ食べて、学校へ行き、まぁそこそこ勉強して、午後の部活をがんばる。そして家に帰りついたらすぐ、再び身長を測ってみましょう。 どうですか?  「えっ、朝と夜ではこんなに違うの?」 そう思う人が決して少なくはないんじゃないでしょうか。  
 私にも15になるサッカー少年の息子がいるので、よくわかるんです。10代の子たちが成長していく様子を間近にみていると、彼ら一人ひとりの体が一生懸命ぐんぐん伸びようとしているってことに改めて気付かされます。伸びようとしているからこそ、とくに関節あたりがすごく脆いということもよーくわかります。まだ骨も柔らかい。筋肉なんて出来あがってるはずもない。靭帯だってまだまだこれから伸びたり太くなったりしていくもの。もちろん心肺機能も。心の強さだってそう。だから10代の君たちのことを世間では「伸び盛り」、「育ち盛り」と言うのです。  
 つまり、ということは?  考えるまでもありません。答えはとっても簡単です。そう、ムリは絶対に禁物ですよ、ということ。 何よりも大切なのは〝ちゃんと食べて、たくさん遊んで、しっかりと休むこと〟。だから小・中・高校生の皆さん、練習を毎日やるなんて「バカなこと」ことは今すぐやめましょう。土日も休まず練習とか、日曜日に何試合もやってるなんて子がいたら、今すぐ監督さんに「そんなバカなことはやめてください」と言いましょう。監督さんに言えないのなら、親に相談しましょう。 でもそれでも大人がわかってくれないのなら、仕方ない、勝手に休みましょう。勝手に休んだことを怒られたら、こう言ってあげればいいんです。「僕らの人生はまだ始まったばかり。なので今のうちから無理を続けていたんじゃ途中で息切れしちゃうよ」。ついでに、「マラソンで最初っから全力ダッシュするバカなんていないでしょ」とか、下手な喩えの一つでもカマしてあげましょう。朝夕の身長差を記したメモを見せてあげながら。それでもやっぱり休むことを咎められたら、その時は心の中でとりあえずこう呟いておきましょう。「ダメだ、この人たちは何もわかっていない」。 そして、上述の「バカなこと」を、「非科学的」とか「非医学的」とかいう丁寧な言葉に置き換えて、もう一度話し合ってみましょう。いくら猛練習が好きな監督さんや親でも、さすがにそこまで言われれば少しは今までのやり方がマズイってことに気づいてくれるはず。 それでも気づいてくれなかったら? うーん、それはもう救いようがないってことになるので、さっさとチームを変えるなりすべきでしょうね。すぐにチームが見つからないのなら、半年くらい何もしない時期があったっていいじゃないですか。ゆっくり考えればいい。焦る必要なんてないのだから。
  https://www.youtube.com/watch?v=IJUR5ILmaiU (こんな感じで楽しく、テキトーに)
 その間、部活で疎かになっていた勉強を頑張ってみたり、勉強に疲れたら空き地とか公園へ行って適当に楽しくボールで遊んでいればいい。 本稿の最後にちょっとだけ触れようと思いますが、空き地や公園とかでテキトーに楽しく遊ぶ方が猛練習するより100倍上手くなれるものなんだから。サッカーなんて所詮は遊び。だったら楽しくやんなきゃ。 
 「過酷なトレーニングは、しっかりと体が出来あがってから行うもの」__と、アレッサンドロ・チュッリーニ(現アルバニア代表フィジオテラピスト)も言っているし、ここイタリアでプロ予備軍を指導する一流のマッサーやフィジオテラピストやフィジカルトレーナーたちも一様に口をそろえているので、きっと間違いではないのでしょう。 
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 前回に引き続き武士の情けで実名は伏せますが、1日に10kmとか20kmも走る高校サッカー部がいまだにある。しかもそれをほぼ毎日やってる学校もある。おまけに試合に負ければ罰走。勝ってもプレーの内容が悪ければまた罰走。100人をはるかに超える部員がいて、彼らの多くが3年間で一度も公式戦に出場できない。それどころか誰が誰だかさえわからないということで、子供らは練習着の前と後ろに「MF 宮崎」って具合にポジションと名前を極太マジックで書いている。それって、はたから見るとまるで〝囚人〟みたいだってこと、これを強いている監督さんはわからないのでしょうね。  
 それに、これまた超名門校と言われている高校では、なんと朝の4時半から練習をやっている。それだけでなく、中学を卒業したばかりの新入部員にまで過酷な走り込みと筋トレを課し、いったい何が嬉しいのか匍匐(ほふく)前進までさせている。せっかく伸びようとしている体を強烈に圧迫し続けているわけです。ここまでくるともう・・・言葉は悪いのですが、とても正気の沙汰とは思えません。  
 考えてもみてください。  〝早朝からの練習、午後から夜暗くなるまでの練習、走り込みと筋トレを毎日〟のみならず、挨拶だ後片付けだ規律だとかいう人間教育〟と称する抑圧__。これにメッシが従うと思いますか? こんな〇〇みたいなトレーニングを少年時代のネイマールがやっていたと思いますか?   
 こうした無意味(非科学的)な過酷メニューを課している監督さんたちに問うてみたいと心の底から思います。「子供たちの体を壊したら、その責任は当然のことながら監督さん、あなたが取るんですよね?」、「その覚悟はあるのですか?」。
  そしてこうも考えてみましょう。では一体なぜメッシやネイマールたちは若い頃に過酷なトレーニングをやらなかったのか。これまた答えは簡単です。 わずか一言、「そんなのサッカーが上手くなるのにまったく必要ないから」。 必要ないどころか、むしろ逆。朝練&走り込みなんてことをやっていたらネイマール少年は今のネイマールになれなかったでしょう。 とにかく、朝練なんていう愚かな習慣は今すぐ全廃されなければならない。百害あって一利もないからです。体を壊してからでは遅いのです。罰走もそう。負けた責任を取るべきは監督です。選手を走らせるくらいなら監督が走ればいい。敗軍の将は兵を語らず__これが世の常なのですから。負けたからといって(または「内容が悪い」からといって)試合後に罰として走らせる監督は、文字通り無責任と無能の極み。そんなロクでもない監督のもとで3年間もの時を過ごすなんて、どう考えたって理に反します。 ましてやそこに暴力が加わるなんてもってのほかです。言葉の暴力もそう。絶対にあってはならない。それは明らかに犯罪だからです。
 そもそもなぜスポーツを教えるのに暴力が必要なのか、連日のように日本から届く「体罰」のニュースを目にしながら考え続けていますが、私にはまったく理解できません。  ここイタリアに暮らして22年以上、仕事としてグラウンドへ足を運ぶだけでなく、我が子のサッカーも見続けてきましたが、それこそゲンコツの一発すら目にしたことがありません。ただの一度も。当たり前です。もしもそんなことをする監督がいれば速攻で警察にしょっぴかれるからです。「犯罪者」として名も顔もニュースで晒され、二度と指導の現場に戻ることはできません。  さっきのメッシやネイマールの話と同じように、想像してみてください。 もしも監督が、態度が気に入らないからといってズラタン・イブラヒモビッチにビンタを喰らわせたらどうなるか。学生を殴っている監督さん、「あなたにイブラヒモビッチをぶん殴る度胸はありますか?」___ 
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  『上手くなる方法』  ということで、やたらと前置きが長くなってしまいましたが、さてさてここからが本題。  とにかく大切なのは、正しい練習をするということ。当たり前ですよね。1日に10km以上も走るなんて間違った練習をやっていれば、そりゃー誰だって疲れます。疲れを蓄積させて試合に臨んでいいパフォーマンスを発揮できるはずがありません。めちゃくちゃ高性能なF1のタイヤだって、レースで15周も走ればボロボロです。無理な走りをすればエンジンだってやらてしまう。だからピットストップする。それと同じです。 http://ja.espnf1.com/spain/motorsport/image/107915.html  
 でも、人間の足(タイヤ)や心臓(エンジン)は、当然のことながら替えが利きません。とはいえ一度摩耗したタイヤは捨てるしかないのだけど、人間の体は自然治癒力というものすごい能力を持っている。そして、その再生する力を発揮させるには、ちゃんと食べて、たくさん寝る。これしかない。だから適度な休みが必要なのであって、その大切な休みがなければいつかは摩耗し、ついには壊れてしまいます。 ですから小学生も中学生も高校生も、週の練習は多くて「3日」。1日の練習時間は「90分」。
 17〜18歳以上になればもう少し長くやってもいいのですが、それでも1回あたり「120分」を超えることはあってはなりません。ここに週末の試合が加われば、活動日数は週4。負荷をかけた後の回復に要す時間を考えるまでもなく、これ以上の練習量は物理的かつ医学的に不正解だからです。もちろん、これもまた私が勝手に言ってるのではありません。先ほども名の出たフィジオテラピストだけでなく、元セリエAの選手にして現在は育成現場で指導にあたる監督たちの皆も一人の例外なく述べる理論なのです。 
 その一つの具体的な例として、現在「テクニカル・サッカー・プロジェクト」という名の育成組織を主宰するルカ・サウダーティ(元ミラン、エンポリFW)は、2018年にモンゴルのU15チームを6ヶ月に渡ってイタリアで指導した経験について、こう語っています。
 「指導を始めた頃のこと。綿密に練習プログラムを組んで実践しているはずなのに、出るべき成果が一向に見えてこない。そんな時期が約3週間くらい続いたんだよ。わかりやすい例をあげれば、練習を重ねるごとに子供たちの動きが鈍くなっていく。なのでこれは一体どういうことだってことになってね、引率しているモンゴル人のコーチたちに尋ねてみると、なんと彼らは僕らの指導を受けた後に別の場所へ移動して長い距離を走っていると言うんだ。僕らが行う1日のトレーニングは90分間。長いときで110分。つまり、それだけの練習量では〝物足りない〟ということで、彼らは昼食を終えたその足でフィレンツェの河川敷へ行っては延々と走っていた。走り込むだけでなく、ものすごい数の腕立てや腹筋をやったり・・・。もちろん、こんなことを勝手にされたのでは僕らのプログラムは台無しだよ。」
  ところが、モンゴルのコーチ陣を説得するには約1ヶ月を要したという。
  「長い時間をかけて話をして、ようやく納得してくれてね。そこからはもちろん走り込みも筋トレも完全に禁止。そして、ではその結果がどうだったかというと、僕らの狙い通り、参加していた36人全員のフィジカル能力(yo-yo testの数値など)が著しく向上していたんだ。」  
 つまり、過度な負荷の連続は逆にフィジカル能力の向上を阻害する。サッカーに必要な運動能力はサッカーをすることによって培われていく。「もちろんそれだけではなくて、ムダな疲労を取り除くことができたからこそ、テクニックや戦術理解といった面でも飛躍的な向上をみることができた。疲れが溜まっていなければ、その分、体のキレが増すだけでなく脳の動きも活発になる。モチベーションも集中力も増す。サッカーで最も大切な〝一瞬の判断〟、ここに大きな違いが出るということ。結果、僕らの指導を受ける前には4人だった州選抜選手は6ヶ月後、16人に増加。彼らへの指導は今後も続けていくので、あの子たちは今よりももっともっと上手くなれる。そう確信しているよ。」 
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  『もっと上手くなるために』  当然、一回の練習時間が「90分」に限られれば、まさかその90分間ずっと走らせるわけにはいきません。ですから監督たちは自ずと「質の高い練習メニュー」を模索しなければなりません。ですが、今日の日本には実に様々なサッカー書籍やDVDがあるし、ネット上には膨大な量の情報が溢れているので、一つひとつのメニューを学ぶことは決して難しくないでしょう。
  もちろん「質の高い練習メニュー」が凝縮された90分間には、走り込みや筋トレを強いたり怒鳴ったり殴ったりする時間なんてものが入り込む余地は一切ありません。 週末の試合で最高のパフォーマンスを発揮する。この目標から逆算してスケジュールを組む。そうすれば自ずと週に3日の休養が必要になることが理解されるでしょう。  ところが現状は、毎日の練習をがっつり積み重ねた上で週末に試合。それってつまり、疲労をがっつり蓄積させた上で試合。もはやその非合理性は説明するまでもないはずです。  
 とはいえ、冒頭でも述べたとおり、何よりも大切なのはちゃんと食べること、たくさん遊ぶこと、しっかりと休むことなのだから、練習が休みの日でもボールを蹴りたいという子は迷うことなく近所の公園へ行けばいい。遊びと練習は別物だからです。仲のいい友達と一緒に遊ぶサッカーって最高に楽しくて、その楽しさこそが上手くなるために一番大切な要素なのですから、怒鳴り声が響く部活の練習なんかより格段に有益なのです。 
 だからこそ、日本の大人の方々、「公園でのボール遊び禁止」なんていう杓子定規の典型みたいな看板は今すぐ取っ払ってしまいましょう。 https://search.rakuten.co.jp/search/mall/ボール遊び禁止+看板/  
 どうしても危ないっていうのなら、公園の一画にフットサルのコートを作ればいい。でもって、そのコートをフェンスで囲んであげればいいじゃないですか。こうすればボールが飛んで出て行くこともないし、車や家の壁にぶつけられたからって怒鳴り散らす面倒なおじさんもいなくて済むし、子供たちは思いっきりボールを蹴ることができる。  
 で、実は、このコートをフェンスで囲むってところがポイントで、囲まれているからこそできる遊び方ってのがあって、その〝遊びの方法〟こそが上手くなるために最も有効なんです。しばらく前に日本で随分と「マリーシア」って言葉が語られていましたが、それはイタリア語だと「アストゥツィア」だったり「マリツィア」となって、意味は「狡猾さ」。要するに、ズル賢さだったり抜け目のなさだったり。ざっくり言ってしまえば、マラドーナやロナウジーニョにみる他とは明らかに質の異なる巧さ、その正体。これを身につけようとする上で最も理に叶う遊び方がいくつもあるのです。  
 そして最後にもう一言。  カテゴリーについて。なおも日本では高校生年代を一括りにして「U18」、中学生年代は「U15」とする考え方が主流のようですが、これも大急ぎで改めるべきでしょう。ではどう改めるのか。これまた答えは難しくありません。単に一学年単位でカテゴリーを分ければいいだけの話なのですから。
 イタリアに限らずスペインもドイツも他の国々もみんなそうしているのには理由があって、16歳の子と18歳の子では体力の差があまりにも違い過ぎる、つまり一緒にやるのは極めて危険だということ。で、学年毎に分ければ、例えばの話、こういうスケジュールを組むことだってできるわけです。
 1年生:練習「火・木」、「土(戦術確認・調整のみ)」、試合「日」
 2年生:練習「水・金」、「土(戦術確認・調整のみ)」、試合「日」 
3年生:練習「月・水・金」、試合「土」  
 上の例では2年生と3年生チームが重なる日もあるけど、各々ハーフコートで十分に質の高い練習ができるので問題なし。使えるグラウンドは一面しかない、でもどうしてもフルコートでの練習が必要だというのなら、(2年生15:30〜17:00、3年生17:00〜18:30というように)時間をズラせばいい。練習だけでなく試合も学年毎に別々なので、後輩が先輩に気を遣う必要もなくなる。試合の数が増えるので、より多くの子供たちに出場の機会が与えられることになる。練習は試合のためにやっているのですから、試合に出られない子供が数多くいるとの現状が〝異常〟であると広く認識されなければなりません。  
 試合数が増せばそれだけ監督さん(教員)たちの仕事は大変になるかもしれないけど、まぁそこのところは有資格者の外部コーチを雇うなりすればいい。そもそも教員がサッカー部の監督であること自体、これもまた異常なのですから。教員は教職に専念し、部活は専門知識を持つコーチに委ねるべき。そのための予算確保が難しいなどとは言えないはずです。国(文科省)と「世界で最も裕福な協会」と言われる日本サッカー協会が本気にさえなればいくらでもできるはずですから。  
  今のこの間違った部活のあり方を変える手段はいくらでもある。変えられない理由など決してないのです。 ■   

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