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2022/10/30 横浜マラソン体験記

前提

40歳の中年の危機を迎えたおっさんが、何かに挑戦したくて初フルマラソン@横浜を走ってきました。
2021年9月から少しずつ走り始め、2022年1月のハイテクハーフマラソンが初の大会。そこでハーフを走り切れたことに満足し、しばらくは健康ランニングしかしてなかったのですが、軽い気持ちで応募した横浜マラソンに当選してしまい、挑戦せざるを得なくなったというのが実情です。

なぜ横浜マラソンか

地元だから、以上。実家の横を走るマラソンなんて唯一無二だし、40歳のおっさんの走りを両親家族に見せられる機会なんてきっとこれが最後でしょう。

準備

2022/6 : 31.4km : 抽選にあたったのがこの頃だと思うが、原因不明で内臓の調子が悪く、病院に行きまくっていてランニングどころではなかったです。健康診断や内視鏡検査の結果、何も問題なし。メンタルの疲れからくるものだった模様。
2022/7 : 58.0km : 健康になったから走ろうと思いましたが、暑いしやる気が出ず。
2022/8 : 120.7km : いい加減やばいと思い、必死に走る。暑いからひたすらトレッドミル。ハーフを走った頃の感覚が徐々に戻り始めたような。
2022/9 : 48.6km : まさかのコロナ感染で10日の監禁 + その後1week以上、走っても異常な心拍数の上がり方を見せ、コロナ後遺症ではと怯え、横浜マラソン辞退も頭をよぎる。
2022/10 : 100.2km : 心拍数も落ち着くようになり、ようやく本格トレーニング再開。時既に遅しではあるが、最長15km走を3回し本番を迎えます。

当日

5時起きで準備をし、6:30開場のパシフィコ横浜へ向かう。途中、武蔵小杉駅から電車の中はランナーのみという異様な状態になり、テンションが上がってくる。
みなとみらい駅に着いたら、もうカオス。トイレは行列、道も行列。地元の利を活かして人気の少ないトイレに向かうも、そこも行列。6:30を目指していたけど、トイレに並んでいたからパシフィコ横浜へは結局7:10くらいに到着。7:30までに手荷物を預け入れる必要があるので急ぐ。
手荷物預け入れ後も、スタート地点まで行列のまま向かう。
8:30出走開始だが、実際は私のブロック(G)だと8:50くらいまでスタートできず。その間に、応援に来てくれた友人が近くに来て雑談できたのは助かった。人混みの中、見つけるのすら一苦労なので、合流できただけでも奇跡。

プラン

1km7:30ペースでいけば5:20位でgoal。本番のテンション次第では5時間も狙えるし、最悪後半失速しても6時間は切れるだろうという目論見。
1月のハーフの時は1km6:30だったので、それより遅いペースでなら十分いけると思っていました。結果は…

出走開始

開始から6kmくらいは桜木町から横浜へ行き折り返して元町方面へ向かうというコース。このあたりはthe横浜なので沿道の応援も多く、走っていて楽しいエリア。
そこから14km地点の根岸駅付近までは、本牧の裏(埠頭エリアと高速の下)を延々と走る感じで、個人的には懐かしいなぁと思いながら走れましたが、横浜に縁のないランナーにはつまらないかなと。
14km地点の地元根岸では家族や友人が応援してくれて嬉しかったし、この時点ではまだまだ脚も余裕でした。ある意味、レースのピークはここ。
この後、20km過ぎまでひたすら杉田方面へ向かう。(また高速下の殺風景なエリア)。自分の最長記録はハーフマラソンなので、ここからは未知の領域。
ここまではプラン通りに7:30km以内で走っていたかと。

そしていよいよ首都高速へ。
ご存知の通り、首都高速の入り口は急な坂になっており、ほぼ全員が歩いてました。ここで走って無駄な脚を使うと後で響くのは間違い無いからね。
登り切ると、また杉田・冨岡方面の折り返し地点まで向かうというコース。はるか先まで延々と折り返しランナーが見えるのが心を折れさせる。
この辺りから歩くランナー、端っこでストレッチするランナーが増えてきて、それもまた心を折れさせる。高速入ってからは1km8:00ペースに減速。

27km地点でアクシデント発生。太ももを伸ばそうとストレッチしようとしたら、見事に腕(脇)のあたりが攣りました。脚じゃなくて腕だったのが不幸中の幸いも、この辺りからさらに減速気味で1km8:00を越えるように…

30km地点辺りで、地元根岸の実家のマンションが高速上からでも見えるポイントがあるのですが、そこまでは頑張れた。それ以降は、ベリーダンスの応援や、サンバの応援やマリノスの応援など色々と首都高で苦しむランナーを応援する企画を見ても、気が紛れない程度にメンタルも体もやられてました。給水所と、坂道は歩いていいというルールを課してましたが、次第にそれ以外も歩くことが増えてきてしまいました。

35km過ぎで首都高速を降りたのですが、降りる時の下り坂がまた足にダメージを。攣って倒れてしまう方もいましたね。
この辺りからは、制限時間にはまだ余裕があるから、少し歩いてもいいんだぞという悪魔の囁きに勝てず、半分くらいは歩いていた気がします。1km9:00台が当たり前になってました。

残り3km辺りの山下公園からまた沿道に人が増え嬉しい反面、もう体はまったく言うことを聞かず、応援されても走れない悔しさを噛み締めていました。隣を走っていたおっさんも応援された後に「そんなこと言われても足が動かないんだよ」って口に出してしまってましたが、完全に同意でした。
最後は走ってカッコよく終わりたい、なんてことを思っていたけど、実際はそんなこともなく最後の1kmが一番遅く10:00超え。情けない。
でも、残り100m地点のあたりに友人が待っていてくれて、そこからは流石に走って終えられました。
ゴールにお辞儀して終了。このお辞儀、やってみたかったんですよね。

そこからは、友人の車に乗っけてもらい帰宅。本当に友人に最後まで助けられました。あの後、歩いて電車乗って帰宅とか無理だったでしょう。
完走メダルとタオルを貰えて満足。

反省点と今後

完走できたものの、歩きまくりと言うのは反省です。毎月100km以上を1年くらい続けないといかんなと思いました。そして、翌日のこの足の痛み。筋肉をつけて関節を守らないとですね。

とはいえ、またマラソン走りたいかというと今はとてもそんな気持ちにはなれず、引き続きコツコツと走り続ける予定ではありますが、大会は10kmやハーフでいいかなという気がしています。
それと同時に、元から興味のあったトライアスロンへの道を考えようかな。特に自転車は家にマシン買ったんだから、もっとやろう。足への負担も少ないし。ロードバイクは高いので、ボーナス出たら検討します。

終わりに

マラソンは人生でやりたかったことリストの1つです。(リスト作ってないけど)。残りの人生でやりたいことリストをあらためて書き出して、それを実現していくフェーズに入ってきたなと思うので、引き続き何かやっていきます。

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