040705都市対抗第2代表決定戦3

選手引退から、どう英語を勉強したのか? 続き

前回のブログからの続き。野球選手引退から門真工場に職場復帰、その後、オリンピックマーケティング室に異動となり、バンクーバーオリンピックが終わったところ、からです。

オリンピックマーケティング前期(ロンドン) / 600〜750点

バンクーバーオリンピック開催前から、ロンドンオリンピックの準備は始まっていました。当社のオリンピック運営における役割などの説明、ロンドン2012大会組織委員会(LOCOG)からオリンピックのミッションや大会計画などの説明を受け関係構築、そして、大会運営の実行可能性調査であるFeasibility Studyなどを始めてましたが、バンクーバー大会終了後に本格的に準備が始まります。

オリンピック毎に人事異動で少しずつメンバーの入れ替えがあり、それに基づき担当変更もあり、先輩が1つ上の立場でロンドン全般を見ることになったので、機器納入契約 主担当として交渉することになりました。

英国 ロンドンはブリティシュ・イングリッシュで、カナダ バンクーバーとは少し違う英語でしたので、少しチャレンジではありました。(英語を学ぶと言う意味では、このタイミングで、英語が母国語のイギリスで働けて良かったと思います。)

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ロンドンオリンピックでの最大の壁は、担当する契約交渉にありました。イギリスの商習慣と私の英語力不足によるハードルの高さでした。

バンクーバーでは日頃から、大会運営のために、どんなAVシステムにするかと議論しているバンクーバー2010大会組織委員会(VANOC)テクノロジー部門と、契約交渉でも同じテーブルについて契約の議論も行いました。
それはそれで大変でしたが、VANOCと一緒に大会運営計画と共に契約を作り上げていく感覚がありました。

LOCOGとの契約交渉のテーブルでは、真ん中にLOCOG法務部門の弁護士が座り、両端にテクノロジー部門メンバー、そして、何より組織委員会側で話をするのは全て弁護士でした。

この交渉では相手が弁護士ということで、自分が英語で話をする内容に気を遣いました。この頃の英語力は、自分が言いたいことを準備なく話せているか不安があり、また、私が発する英語が公的文書として記録されていく。これまでの契約交渉の議事録でも同じ事は言えるはずなんですが、心理的なプレッシャーが違いました。

交渉前の準備は、色んなケースを想定して、英語で回答を準備、シナリオも3通り準備、想定ライン・トップライン・ボトムラインそれぞれ英語の文章で準備しました。

このタイミングで行ったのはビジネスネゴシエーション英会話で、ベルリッツのビジネストレーニングで外国人との交渉に関する英会話を勉強しました。そこでは、お互いの文化背景や交渉方法を教えて頂きました。

また、欧米の商習慣や交渉術に関心を持ち、交渉術に関する書籍をいくつも読み込みました。

行き着いた自分が目指す交渉術は、Win-Win交渉術でした。これは今でも大切にしている概念です。その契約交渉は1年近く掛かりましたが、英国の商慣習について大変勉強になりました。

少し余談になりますが、ロンドンでの交渉をしているタイミングで感じたプライベートでの英会話力のなさです。準備したビジネス英会話は対応できてきたが、アフター5での英会話についていけない。理由は、その国の歴史、背景やブーム・時事ネタなどを知っていないと会話についていけないので、英語が第1の理由ではありません。ただ、わからない語彙を含んだ英会話をしていることが一番ヒアリングで大変なことだと痛感しました。

特に、印象深く、のちに私の趣味を変えた経験を紹介します。会食の場に同席する機会があり、ワインが好きな方から、2本目のワインはTakに選んで欲しいと言われました。私は仕事の付き合いの中で、彼を尊敬していて、(おそらく)彼も私の仕事に対する姿勢を評価してくれていたと思っていましたが、私はこのパスにうまく答える事が出来ず、あなたが選んで欲しいとパスを戻してしまいました。

当時の私は、ワインについてあまりにも無知でした。それから、ブドウの品種、土地による違い、などを勉強して少なくとも自分の好みのワインを知ろうという努力を始めました。

まずはエノテカのバーに通い、自分のモットー「一流を知る」に従い、エノテカの年始にある高級ワイン抜栓で、1杯いや30mlで1万円以上するワイン:ロマネコンティ、シャトー・モートンルートシルト、ペトリュスなどを試飲しました。

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もう一度、その彼とご一緒する機会があり、私の好きなワインをおススメすることが出来ました。現在は、米国に来てからもナパバレーに足を運んだりとワインを趣味として楽しんでいます。


オリンピックマーケティング中期(ソチ) / 750〜880点

ソチオリンピックでは機器納入に加えて、ホスピタリティを担当することになりました。簡単に言うと、パナソニックオリジナルのオリンピックツアーを企画してグローバルにある販売会社の営業部門などに販売する仕事です。予算が限られる中、どんなおもてなしが出来るか色々と検討をしました。

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英語が第2外国語のロシア・ソチ大会では、お互い第2外国語での交渉ですので、英語力は伸び悩みました。今までしていた英語の勉強でも何となく違う気がして身になりません。
と言うのも、仕事を覚え、人間関係も出来ていた中では、限られた英語表現でも業務に滞りがなかったのです。ただ、そういった恵まれた環境が自分の英語力の向上にブレーキをかけているのではないかと思うようになったのです。

そんな時に転機が訪れます。
東京オリンピックです。ソチオリンピック閉幕後の4月1日付でオリンピックマーケティング全員が大阪から東京異動となりました。そして、2014年4月から2015年8月まで、チームで1人だけリオオリンピックの準備から少し離れ、リオ大会の次の平昌大会と東京大会の準備を担当する事になり、長期海外出張がほとんどなくなりました。

私はソチ大会準備中に、1つの書籍に出会っていました。その著者は戸塚隆将さん。戸塚さんの書籍『世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?』から彼の考え方に感銘を受け、戸塚さんが提供している英語習得プログラムに興味を持っていました。

東京で行われている英語習得プログラムを受講してみたいと思い、引っ越しが落ち着いた夏に直接お話を聞き、秋からプログラムに参加しました。私が何故、戸塚さんの考え方に感銘を受けたのかというと、彼の英語におけるコンセプトが「流暢に喋るよりも骨太な意見を英語で話せる世界で通用するビジネスパーソンを育成する」で、私が必要だと感じていた事だったからです。

VERITASでは、英語を前から順番に読み解いていく「前から力」を徹底的に鍛えられました。英語を前から語順通りに意味を把握していく方法で文章構造を確認。Harvard Business Schoolで実際に使用されている教材で、AppleやP&Gなどのビジネスケースがあり、面白く飽きることなく勉強を進められました。

アウトプット力では、舌の形や動きとともに正しい発音方法を徹底的に学ぶため、英語の発音が良くなりましたし、発音が良くなるにつれてヒアリング力も向上しました。

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また、目標を持った講師や色んな職業の仲間と出会えた事は宝です。バックグランドが違うので、英語においてもそれぞれが得意な分野があり、また、違った視点を持っていました。ですから同じ教材を使っていても、様々な視点から議論することができ、いつも新しい発見がありました。
今でも皆んなとたまに会って意見交換しています。

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結果、3ヶ月で、TOEICスコアが740点から、一気に140点アップの880点を取ることが出来ました。


オリンピックマーケティング後期(リオ) / 750〜880点

2015年9月からオリンピックマーケティングの責任者となり、リオオリンピック全般を担当し、初めてメディアインタビューの対応。あまりにも忙しすぎて、海外メディアインタビューにも、ほとんど準備なく対応していたのを思い出します。

あと、忙しくて、疲れ過ぎて、目の前にあるコルコバードのキリスト像まで行かなかったことが心残りです。

リオオリンピック閉会式の東京オリンピック・プレゼンテーションでは、さまざまな国の言葉で表す「ありがとう」という文字から始まり、日本を代表するオリンピアンとアニメのキャラクターが登場した映像の後、会場に目を向けると、土管からはマリオに扮した安倍首相がサプライズ登場。CGに光とダンス、手拍子に、旗振りと日本独特の応援スタイルで観客を魅了した後、

**SEE YOU IN TOKYO **

東京オリンピック・プレゼンテーションが終わった後、閉会式会場にいたIOCやオリンピックパートナーの友人とハグをして、See you in Tokyoと言って会場を後にしました。

東京に向けて頑張るぞ!と友と誓った閉会式の後、ホテルに戻ってすぐ、2人の上司から呼ばれ、アメリカ異動の内示を頂きました。
頭では良い話だと理解しながらも心で泣いていたのを今でも鮮明に覚えています。

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リオパラリンピックでは東京に残っていたので、上野公園のパブリックビューイングで、閉会式を観て、東京を後にしました。


アメリカでのブランディング・マーケティング / 880点〜

オリンピックを、東京を離れ、北米ブランディング担当として、2016年11月から米国東海岸にあるパナソニックノースアメリカに異動となりました。
大学時代、春季キャンプをアリゾナとカリフォルニアで1ヶ月間過ごし、国際大会出場のため、ハワイに2週間過ごした事はありましたが、この異動が初めてのニューヨークでした。

最初の3ヶ月は、初のアメリカン・イングリッシュに苦戦しました。ソチ大会から東京大会・平昌大会準備担当、そして、リオ大会全般を担当する4年間は第二外国語としての英語だった事もありますが、特に、アメリカン・イングリッシュのリエゾンの音が聞き取れない、単語が認識出来ない事態に戸惑います。

すぐにニューヨークの英会話教室を探し、徹底的に耳から学ぶ英会話の ibec でリエゾン克服に努めました。

こうして米国勤務が始まり、現在、米国生活3年、なんとか暮らしています。少し長くなりましたので、米国での話は、また別のブログで紹介させて頂きます。


まとめ

・目標設定(長期と短期)
・目的に合わせた語学勉強にフォーカス
・お金より時間が大事、自己投資予算計上しておく
・インプットとアウトプットの両輪
・ピンチと好奇心が成長の原動力

スポーツが大好きな次世代のために

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