スポーツ紙の変容にラジオ人が思うこと

西日本スポーツだけでなく、道新スポーツまで……。
日経の電子版戦略(これは世界的にも珍しい新聞DXの成功例だと読んだことがある)とは明らかに違う、後退としての「ウェブサイトでの情報発信」に、遠雷のような地殻変動の音を感じる。

県紙や地域紙(この辺は細かく見ているとかなり多い印象……特にフクニチや新大阪が廃刊して以降の30年くらい?)の次にブロック紙系列のスポーツ紙となると、次はブロック紙、全国版のスポーツ紙や夕刊紙、全国紙……みたいに繋がっていくんだろうか。そのへんは詳しくないから判らない。西日本新聞や読売新聞の電子版は手頃だし悪くないと思うけど、成功している印象がない。一部の新聞社のような不動産の切売りにも限界があるだろう。
じゃあどうやってマネタイズしていく?
残された時間で、縮小均衡点を探すことはできるんだろうか?

先の連休にテレビを観ていたら、キングオブコントや別の番組で、番組出演者やセットがそのまま出てくるCMを何回か観た。ラジオで云えば生CMだろうか。手法としては新しいものではないけれど、大型企画とかでそれが出てくるところに、いまのテレビの厳しさを感じた。
その上で、生CMが標準的な広告フォーマットになっていった20年-25年ほど前のラジオに似ているな、とも思った。

昔の4マスを取り巻く市場環境が激変する中で、今後「どうやって生き残っていくか」は、産業で働く人々の個別の問題として、より重要になっていくだろう。
私は15年前に、自分の来し方行く末や、自分なりの産業動向の予測結果から「局から離れる」という決断をしたけれど、ここまでの間に「選択を間違えたかな……?」と思ったことは正直一度ならずあった。
でも最近は、「やっぱり当時の選択は正しかった」と思っている。自分が組織の一員として働く能力に欠けていることは、某局の役員としてステーションに復帰した数年前にも痛感した。勤め人としてこの激変期を乗り切る才覚や力量は私には無い。

また私の周りには、職能のピボットを果たしたかたもたくさんいらっしゃる。けれど私には残念ながらそういった才能も無い。最後までラジオ産業出身の、音とことばの職業人であり続けると思う。
それらを総合すると、独立系で・アナログもデジタルもやって・広告も番組も作る今の働き方は天職なのだろう。

それならば、そこでどう戦うかを考え、実践する以外に道はない。
そして出来ることならば、次代を担う若きラジオ人や音声コンテンツ人が輝ける場所を作っていきたい。

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