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拒絶の代償 - 帰るべき場所を失くして

人がいつか幸せに向かうのなら
いつか皆幸せになれるのなら
あなたとはどうして出逢ったのだろう
血塗れになるまで傷つけ合って
I feat. まねきケチャ - CIVILIAN

ここでは生きていけない

いつからだっただろう、もうここでは生きていけないと感じるようになったのは。
この生まれ育った土地を離れないといけないと感じるようになったのは。

生まれ育った地域で一度も転校などもせず、小学校、中学校と進学していった。高校も少し遠い場所を選んだとはいえ隣の市だった。

ずっと同じ地域で過ごしていた。だけど僕の心も身体もこの地域には根付くことはなかった。

僕はみんなとは違う。

僕はみんなと同じ生き方はできない。

高校生のときにはもう、激しい反発心が僕を駆り立てていた。
こんな牢獄に骨を埋めてたまるもんかという想いが日々大きくなっていった。

選択をする自由

人間は生まれた瞬間から不平等だ。
生まれる国も、場所も、家も、何もかも選べない。

とはいえ、別に恵まれない家庭に生まれたわけでもないし、のらりくらりと生きていけているので感謝はしている。

何より僕の両親は大事なことを教えてくれた。それは、大事なことほど自分で決めるよう教育されたことだった。

僕はいろんなものを自分で選んだ。卑近なものでは毎月のお小遣いや、お年玉をどう使うのかといったところから、部活動で何をするのか、そして自分の進路について。
どれについても、両親は一切口を出さなかった。高校も大学も(最終的には)自分で決めた。
もちろん、自分がどこで働くか、どんな仕事をするのかも自分で決めた。

僕にとって自分の人生を自分で決めることは当たり前の権利だ。

そして自分で決めるためには情報収集をし、分析をし、意思決定をする。それは業務や一人暮らしの生活で日常的に行っていることだ。人が生きていくための基本ルーティンだ。

生きていくための基本的な姿勢を教えてくれた人たちにとても感謝している。

生きる場所を変更する

ここは僕が選んだ場所じゃない。
時間が経てば経つほどその想いが強くなっていった。

高校生のときにはもう、地元で生きていくことは考えられなくなっていた。

色々あって、結局大学も通学できる範囲の場所に通ってしまうが、どんどん帰属意識が薄くなっていった。
だけどふと我に帰るたびに、なんでこんな住みたくないところに住んでいるんだろうと感じたりはしていた。

自分が生きる場所を変えたかった。どこでもいいわけじゃないが、ここではないどこかへ行きたいとずっと思っていた。

就職を機に、僕は単身で引っ越しをした。
やっと腐れ縁が切れてくれた気がした。

選択の果てに失ったもの

僕の選択で僕が得たものは山のようにある。

だけど、自分が失ったものもまた大量にあると、最近になって思うようになってきた。

この土地で働き、この土地で子供を育て、いつもの仲間といつものように笑顔で過ごす。そんな未来もあったんじゃないか。
Facebook でたまに屈託のない彼らの笑顔を見るたびに強くそう思う。

いつまでこの仕事ができるかと不安に駆られ続けながらも生きていく覚悟があっただろうか。
収入は安定しつつも支出も安定して高い暮らしは本当に割りに合っているんだろうか。
人でごった返す広告まみれの渋谷の街を闊歩したかっただろうか。

なんで、平和な人生を平和に歩む、それだけの生き方を選べなかったんだろう。

振り返っても見えないような遠い遠い過去にある交差点で、僕の人生はどこか狂ってしまったんじゃないか。そんな考えがいつまでも付き纏って離れない。

もう戻るところも行くところもない

いま僕は実家でこの記事を書いている。

帰省しても両親、姉、祖母以外の誰にも会わない。

会いたいと思う人がいないわけではないが、会って話したところで自分の人生が伝わる気がしない。

結局、行き場なんてないから僕はまた東京に戻っていく。

昔はなにか夢を求めるとか、野心がある人が東京にいくんだと思ってたし、実際にそういう側面はあると思う。
だけど今の僕は、他に行くアテもなくただ惰性で東京にいる。

場所を変えて得た経験、得た仕事、得た出会い、本当に色々ある。それらがなければ、僕の人生はなかった。
僕の人生はそれなりに良いものだと思う。

だけど良い人生だと思えるようになってきたからこそ、他に考えられる道があったんじゃないかと、たまに、本当にたまに考えている。

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