幸せは誰かがきっと運んでくれると信じてた
なんかいいことないかなあ
なんかいいことないかなあ、それが口癖だった時期がある。
社会人3年目、それなりに仕事できるようになって生活にも余裕ができた。
だけど自分のやりたいこととかなにも見つけられなくて、果たして何のために生きてるのやらって感じてた。
それはそれで悪くない生活だと当時は思っていた。そして、幸せは誰かがきっと運んでくれる、勝手にやってくる、そう牧歌的に信じていた。
パンデミックなんてものが起こるまでは。
俺はなにをしているんだ?
2020 年。自分が普通に生きるということが、自分の人生で初めて脅かされた。自分が当たり前に享受していた幸福や、悪くない生活のコンポーネントがあっという間に当たり前ではなくなった。
果たして何のために生きているんだっけ。家でひとり、そればかり考えていた。
仕事のため?
友人と刹那的な楽しさを共有するため?いつまでそれが続く?
実際パンデミックでほとんどなくなった
誰かのため?だったら誰のため?
自分のため?だったら僕はいま何をしている?
全てを諦めるにはまだ人生は長過ぎる。でも長い人生をただただ無駄使いしていた僕に、容赦のない疑問が突きつけられた。
自分と未来に向き合う
パンデミック下の孤独は苦痛ではなかった。
考えることが山ほどあって、やるべきことが山ほどあった。
今までずっと目を逸らしてきた自分と向き合い、自分が本当にするべきこと、やりたいと思っていたことを思い出す。
そのために辛辣な孤独が必要だった。
過去と向き合い、身体と向き合い、心と向き合った。
仕事や SNS、 Podcast を通して垣間見える人たち。彼らを介して仕事に向き合うことを考え、人と向き合うことを考え、未来に向き合おうとした。
2020 年、2021 年を今まで通りの時間にしてはいけない気がした。これからをどうよくしていくのか、僕の人生をどうよくしていくのか本気で考えた。
僕の人生が良くなる可能性があればなんでも試した。
幸せを自分にもたらすための第一歩を踏み出すのは、自分以外ありえない。そんな想いで必死だった。
運命
僕は運命ってやつをあまり信じずに生きている。
だけど振り返ってみると、僕の人生には必要なときに必要な人が現れて、そうして救われたことがある。
2021 年にも、そういう人が居てくれた。
2016 年、僕は救われた。身も心も投じれるものに出会えて、無気力で死んでいた自分が息を吹き返した。
そして 2021 年、僕は初めて心を救われた。
僕の人生に運命的な出会いってのがあったなら、2 つもあったのだ。とても感謝している。
幸せをこの手で
ずっと誰かが幸せを運んでくれるのを待っていた。その誰かに救われるのを待っていた。
その誰かが人である必要はない。何かが僕の人生を変えてくれるって漠然と思ってた。
もちろんそんなのは幻想だ。
僕は今年、幸せへの糸口を掴んだ。それは誰かが持ってきてくれたものじゃない、自分で掴んだものだ。
でも糸口さえ掴んだら、あとは物事が進んだ。みんな協力してくれた。
まるで世界が僕を中心に動いているみたいだった。
この糸口は、まだ手元しか見えない。周りは薄暗くて、この先どんな未来が待っているのか全然わからない。
でも、僕はもう振り向かない。
希望は前にしかないから。