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枠を外して見えた世界: ワークライフブレンドを手放した後の発見

自分という存在が変わりゆく感覚に陥っている。とても根本的な変化だ。

たぶん、仕事という生活の一大要素から解放され、自分の心と体が変わってしまったのだと思う。自然に。

もう、数日前までの自分ではない。この変化は間断なく進行し、元の状態に戻ることはないだろう。先週までの自分が考えていたことさえ、思い出すことができない。

体と心の変化

仕事を辞めてから色々なことが変わった。まず、よく寝るようになった。本当によく眠れる。時間があるというのも大きいが、意識に登らないレベルで身体は疲弊していたのだと思う。あるいは、肩の荷が降りて睡眠が深くなったのかもしれない。

次に、あらゆる自己研鑽とインプットをやめた。というかできなくなった。英語の勉強をしていたができなくなったし、本もSNSもあまり頭に入ってこない。それがマイナスだとも思っていなくて、そういう時期なのだろうと割り切っている。僕にはよくあることだ。

内面の話をすると、日々ゆったりと過ごせている感じがする。自分の家にいるのにまるで旅行をしているような心地で過ごしている。東京に来てから初めて、時間がゆっくり流れている感覚を持っている。

そして、ものごとを深く考えるようになった。今までよりも深く。時間はたっぷりあるのだから、すぐに決断をしなければならないこともない。そしていま考えていることは、自分の人生にとって大事なことを考える時間になると感じている。

仕事をしていたころは現状を認識して受け入れたのを、すぐに評価してアクションに結びつけないといけないと思っていた。そしてこの振る舞いはビジネスの現場においては正しいとされていることが多い。僕も社会性があるので正しく振る舞おうとしていたわけである。

逆に始めたことも少ないがある。話題のChatGPTに課金して生成AIの活用を少し試してみている。僕自身は正直、生成AIが社会を変えるみたいな言説には懐疑的である。しかし、一個人の生活を変える程度には便利だとは思うので、日常生活にGPTをどうやって使えるかを色々と試そうと思っている。

実際、この記事の構成はChatGPTと相談して作った。

ワークライフブレンド

ところで、筆者はワークライフブレンドという概念を知ってからかなり好んでいる。

上記記事では、次のように説明されている。少し長いが引用する。

「ワークライフブレンド」では仕事と生活が交差した状態を受け入れ、どちらかだけにあえて特定の時間やエネルギー、関心を割くことはありません。2つの世界が「ブレンド」されているのです。例えば、子どもの宿題を見るために早退しても、常にSlackなどで緊急の対応ができる状態にしておく。または、午前中はZoomミーティングの連続で忙しくても、ランチは大切な人と楽しみ、その後また会社に戻る。もしくは、仕事で知り合った人とゴルフなどの共通の趣味(私の場合はスキューバダイビング!)を楽しみつつ、仕事の話もする、などです。仕事と生活が、特に明確な境界線なくブレンドされたライフスタイルなのです。
(中略)
言い換えれば、「バランス」より「最適化」を追求するのが「ワークライフブレンド」なのです。トップクラスを目指すなら、人生のあらゆる場面でベストな自分でいられるように、最適な形を模索していく必要があるということです。

トップクラスの人たちにワークライフバランスはあるか?

自分は別にトップクラスを目指しているわけではないのだが、仕事とプライベートに明確な境界線を設ける考えは好きではない。仕事とプライベートを別々に管理する必要性を感じていない。

僕が生きているのだから、僕が生きているときの感覚が充実していればいいのである。だから仕事の時間は仕事で充実させ、プライベートの時間はプライベートで充実させるなどと区別することになんの意味もない(配偶者が望んだ場合など、僕以外の他人が関係したときに価値が生じうるのは認める)。両方ともを充実させるには両方とも混ぜてしまえばよい。

以前から持っていた僕のこの考えが、ワークライフブレンドという言葉で表現されているのを見て「やっぱこれでいいんだな」と思ったわけである。

だから僕は(ただの平社員だったのだが)仕事とプライベートを別に区別しなかった。

余暇で本を読む時は、自分の仕事の見聞を広めたり、同僚(外国人の同僚もいた)の理解を深めるためになる本を読んだ。

自主的に技術系イベントやポッドキャストのイベントに行くのも自分が楽しいからだし、自分や相手との仕事に関する情報交換にもつながるからだった。

友人と会う時もたまたま同業者が多いのでプライベートの話も仕事の話もした。

常に自分の行動は一石二鳥を目指していた。

失われたワーク、変わる自己認識

ところで、僕がワークライフブレンドを積極的に採用してから今回初めての退職である。

そこで初めて分かったのは、生活にブレンドされたワークが突如なくなるのは大きな変化であるということだ。

今までの退職はオフィスワークだったこともあり、明白に仕事とプライベートが分離していた。だから、喪失感をそこまで味あわなかった。物理的な場所が離れれば、仕事とも離れ、人とも離れられたからである。

しかし、今回は違う。パンデミックのあおりをうけて仕事場と自室が同一視された。上記のワークライフブレンドの考えを積極的に取り入れ、あらゆる交友と行動が仕事に関係したものになった。その結果、仕事だけがぽっかりなくなったとき、自分のプライベートの活動もなにをすればいいのかさっぱりわからなくなったのである。

なんの本を読めばよいのか、行きたい場所があるか、などなど。別に何もないのだ。本当に。

もし仕事が忙しすぎて何かを犠牲にしてきたなら、いまたっぷりあるこの時間でその犠牲にした何かに取り組めば良い。しかし、僕には仕事のために何かを犠牲にしてきたという感覚は全くない。仕事をしている間も、やりたいことをやってきただけなのだ。

だから、いまの僕がやりたいことをやるには仕事抜きで自分の価値観を再構築することから始めなければならない。

仕事をやめるまで、自分がどんな価値観で行動していたのかにまったく気づいていなかった。とても驚いている。

結論

ここまで書いたけど、別に僕は悲しんでも絶望してもいない。

僕は勝手に変わっていく。今までも、一切の指針がない状態でなにかをやめたことは過去にもある。けれどなんとかなった。

自分の変化を受け入れて、観察して、また新しい概念を援用して、新たな生活を作っていけば良いと思っている。

大事なことは変わり続けること、適応し続けることだ。どんな結果になるのであれ、どうせ死ぬなら変わろうと足掻き続けて死にたいと思う。

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