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独りよがりに向けて


○DIVE


いつまでもこうして何かにのめり込んでいたい。

ひたすらに文章を書き続けて、
自分だけの世界を創り上げたい。

人として生きている以上は、
積極的に打ち込んでいける
何かを見つけ出さなければならない。

何かを与えられるだけで
満足していてはいずれ腐れ落ちてしまう。

そうならないように、
必死に、
あるいは冷静に、
ただ深いところにまで手を伸ばす。

潜り込んでいく。
どこまでも暗闇に入っていく。
そこには光がある。
自分だけが輝き続けている光がある。
そこに向かって、自分は潜り込んでいく。


創り続けていくことを定めとした。
本当はどうなのかわからない。
どこに自分の本質が
眠っているのか判別しない。

もしかしたら
既に見えているのかもしれないし、
もうすでに
取り組んできたことなのかもしれない。

けれど、
どれを定めとしていいのか
実感が湧かなくて、ただひたすらに迷う。
あまりにもたくさん迷い続けると、
人はきっとおかしくなる。
こうしている自分も
もうおかしくなっているのかもしれない。
周りからは狂った奴に見えるだろうか。

でも自分は
どこまでも真面目にこれを書いている。
適当なことを
一切書くつもりもなく考えている。

これはきっと独りよがりの集合体だ。
そんな独りよがりが、
なんとも心地よくて、
もっと深く潜り込めば
さらなる高みが見えてきそうで、
だから創り続けることに決めたのだ。
もうやめないと思う。

いろいろな人が
毎日note更新を続けていることだろうし、
自分もそのたくさんの中のひとつに過ぎない。

もはや自分のnoteなんて、
いくら書いてもあっという間に
インターネットの深海に
飲み込まれてしまうだろう。

しかしこれでいい。
たくさんある
毎日noteたちに囲まれている中で、
好き勝手に書き殴る心地よさがあるから。

これは真夜中の都会の喧騒の
端くれに施すグラフィティの類だ。
大衆があまり
気づかないからこその落書きである。

誰彼構わず見てこられると
この世界を保つのは難しそうだ。
もっと意味を捨てたい。
概念を無視したい。
常識を笑い飛ばしたい。
全てを見て、全てを見ないでいたい。
たくさんの相反するものたちの間に立っていたいのだ。


札幌の街はいつもどおりの
喧騒がすすきのから聞こえてくる。
それをbgmにして
ただ一人noteを書き込んでいく。

すすきのはいつまでもお祭り気分で、
皆おののの好き勝手に酒を飲み、
夜の店に消えていく。

カラオケ、
ダーツ、
ジンギスカン、
ストリートミュージシャン、
ブラックニッカ、
なんでもあって、なにかもが見える。

これがすすきのである。
そんなものたちを全て横に置いておき
noteを書くのが自分である。

たくさんの人たちを
飲み込んでいくすすきの。
独りよがりにnoteを書く自分。

どちらも世界があって、
それらは平行に進んでいき、
いつかどこかで交わることを
可能性として考えている。

その可能性を希望と見るのか、無色とするか。

所詮は自分もただの人。
すすきのの街並みに溶け込んでしまえば、
こんな世界あっという間に消えてしまう。
それなのに自分の世界はどこまでも大きくて、
都会の喧騒は遥かに小さい。
どんな事象も大きさは常に変わり続けていく。
自分の世界観があらゆる次元を想定するから。


あまり好き勝手やりすぎると
誰も寄り付かなくなる。
それはわかっている。
病人が開き直って
暴れ回っていては同情の余地はない。
ちゃんと粛々としていれば
ある程度の罪人も許されたりする。

いつまでも他人の尺度の中で
飼い慣らされるつもりか。
世間の枠組みを壊すことなく
優しく撫でるだけで終わりか。

もっと壊した方がいいものは
自分の中にたくさんいる。
もっと影響の中心に引き摺り込んで
やりたい人たちもまたいっぱいいる。

重力が働いて、人の流れはまた変化する。
これまで素直に引き摺り込まれてきた中心が、
ある日唐突に不快に思えてくる。

反対に意味不明の創造物が
突然輪郭を帯びてきて重力を生み出すこともある。

それは計算外のことだ。
どうやって影響されるのか、
どうやって影響を与えるのか、
いつ好きになっていつ愛想が尽きるのか、

全ては明日にならないとわからない。


孤独を恐れなくなった自分は、
札幌に来た時に感じ続けていた
ホームシックのような類に
悩まされることも減っていき、
今では書き続けることにとにかく積極的だ。

大学ノートに文字を連ねる。
人物の名前、
町の名前、
考え方やテーマや疑問の数々。

とにかく書いてみる。
疲れたじっとして、
回復したら再び書き始める。

これだけの繰り返しが、今の生活である。
もちろん仕事もしているし、
社会の中にいるという
自覚はちゃんと持っている。

どれだけ独りよがりでも、
自分は他人を意識して、環境を意識している。
意識するだけで
どうにかなるとも思えないが、
意識することでしか
自分を強く保つことはできないのだ。

独りよがりでいたいのならば、
なおさら世界に
働きかけることをやめないことだ。

とことん変人であることを
惜しげもなく曝け出そう。
たくさん笑われて、
後ろ指をさされよう。

笑われた分だけ、
自分の独りよがりは、
独りよがりではなくなっていくのだから。





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