数寄者
通院しているクリニックまで毎度徒歩で行くのだけど、いつも道すがら、某有名新興宗教団体の教会(純和風建築)の前を通りかかる。
いつもなら何も気にすることなく通り過ぎるのだけど、今日はこの冬空にすっくと映える美しく剪定された一本の庭の木が目に入って足を止めた。まるで芸術品と見紛うほどに均整がとれており、思わず立ち止まって上から下までじっくり眺めた。
庭の木だけでなく、教会全体が荘厳でたらふくお布施で儲けているのかすみずみまで整えられていたので純和風建築と庭のしつらえの美に目を見張った。
金持ちが実践する美というものが好きだ。
別に貧乏人を貶めたり人間性を否定したりするわけでもないが、「金がなきゃこんな手の込んだ職人の技はお目にかかれないわ」という類の品に平伏してしまうというだけだ。たとえば宮廷や王朝に重宝されたような見事な家具や調度品にほれぼれするのに、なにも奢侈を憎んでも匠の技は憎めない。
貴族文化も好きだ。今は平等や人権が当然のように謳われるが、あまり信用していない。貴族でなくても貴族のように捨てるほどに金があって、道楽でもいい数寄でいいから思いのたけディレッタント(芸術愛好)にふけることができるような人間がいてもいいと思う。憧れる。そういう人間を許せなければ、二度と白洲正子のような才能は現れることはないだろう。
大きな企業が美術館を設営したりすると決まって「そんな金があるなら社員の給料を上げろ」というトンマな批判が出るけれど、巨額のカネがこまごまに分配されてたった一人のちっぽけな生活費になるより、美術品に姿を変える方がよっぽど尊い。人間はすぐ死ぬけど美術品は何百年と保存ができる。より多くの人を恍惚とさせる。あーこんなこというと怒られるかな。
とりあえず、幸福にも金銭的余裕のある人がそんな金のない一般人にも美(アート)を享受できるように取り計らってくれるというのだから、もう感謝しかないのだけど、そうじゃない人もやっぱり少ないだろう。まー生きる流儀が違うというかどちらが正しいとかはないんだと思うけどな。人権がない時代もあればある時代もある。人権は創作物だという人もいる。
去年は前澤友作さんが月に行くということが話題になったけど、その時も同じような「給料上げろ」的意見がでた。いやー、自分がZOZOの社員だったら、自分の給料より、月に行ったことでどんな風に地球の人間の価値観を変えてくれるのかのほうがよっぽど興味があるのですがね。ワクワクする。どんな世界を見せてくれるのか。自分の給料では絶対にいけないところを見せてくれる。それに他にも現代アートをドカーンと買っててかっこいい。たとえ前澤さんが亡くなっても(縁起でもないけど)あの絵はしっかり後世に引き継がれていくだろう。もしくは美術館に寄贈されるか。
さきほど人はすぐ死ぬ、といったのは自分も例外ではなく、やはり自分をさし置いても美しいものがそれなりに長く残っていってほしい。
ただ願わくば、一度でいいから数寄者と呼ばれるくらいにやきものに狂ってみたいものだ・・・