海乃家の夜は更けて①〜カラオケボックス前夜のカラオケの楽しみ

今でこそ、カラオケ屋さんは駅周辺の空いたビルの救施主としてすべてのフロアに入っていたりするほど、カラオケデフレは進んでいるが、私の記憶が確かなら、こんな状況が生まれたのは2000年前からである。

それまでは、歌いたい人は酒場のスナックなどで、ママの司会で飲み代に加えカラオケ一曲幾らまで払って歌わなくてはならなかった。

そんな時代、学生たちに神と言われたのが、海乃家というお店だった。グーグル先生によると、店はもう閉じられ更地になったそうだが、今やもう、カラオケボックスの時代、勝ち目はなかった。

割烹海乃家、とお店には書いてある。割烹とは、何なのか?軽く頭痛に襲われる。

2千円ポッキリだけ払って、つまみは、かっぱえびせんなどの乾き物、これが割烹ならマクドナルドは高級ステーキ店だ。

昔は連れ込み旅館だった、という噂も聞いたことがある。真偽の程は定かではないが、駅前の細道を線路に沿って進んでいったどん突き、というロケーションは確かに怪しい。

とは言え、大学で、サークル、クラス、ゼミなど社会的生活を送っている限りこの店から離れる事はできない。

当時の飲み会コースは、一次会は駅前のF1ビルという居酒屋雑居ビルで、業務用スーパーのですよね?という冷凍のピザ、唐揚げ、おにぎりなどを食べ、二次会は海乃家と相場が決まっていた。幹事には今や当たり前になったキックバックの前身、なぜか、靴下が贈られた。

そしてこの割烹についてだが、二階建てで、小さな個室が並んでいた。これが多分連れ込み旅館説の根拠だろうが、お風呂はない。その個室はなんと襖で区切られているので隣で歌うピンクレディーを聞きながら自分のカラオケを歌う環境だった。黎明期とはそういうものだ。知らない客に囲まれて、スナックで歌うよりは全然快適だったのだ。

そして私の記憶が確かなら、電車の最終過ぎると、朝まで寝てよかった、という旅館法もびっくりの特典があったと聞いている。僕は経験がないし、僕の周辺でも海の家で一晩過ごした人はいないのでホントか嘘かはわからない。これもまた連れ込み旅館説が蔓延する所以である。

自分の歌も聞こえないというロック歌手の武道館のコンサートの様な最悪の環境で、当時人気だったパイオニアのレーザーカラオケで歌う土曜の夜は意味もなく楽しかった。酔っ払った勢いで、ぎゅうぎゅう詰めの和室で口説く人、革命を唱える人、当時はまだ緩かったタバコの規制で、もくもくの煙の中、最終電車11時40分までのシンデレラタイムは続いてく。
レーザーカラオケの次の円盤を探してプレーヤーにセットする音だけが忙しく聞こえていた。

お洒落な村上春樹風に書くはずが、四畳半ものようなトーンになってしまうのは仕方ない。やれやれ。

つづく。

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