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そして八月がやってくる。

その年、八月が大きな顔をしてやってきた。我々は十分に準備をして八月を待ち構えていた。しかしそれは、我々の想像を超える八月であった。

まず八月は、一日を我々に寄越した。その八月一日は、頑なで、大きな厳めしい存在であった。そいつは我々の足元を掬うようにして現れ、警戒していたはずの我々の精神を、見るも無惨に打ち砕いた。

呪詛の言葉を蒼い空に向かって吐き、早いうちに朽ち果ててゆく者もいた。しかし、残りの多くの者たちは、精神力を奮い起こして、次なる日々に立ち向かった。

二日以降の数日は、我々にとって、想像したほど困難な相手ではなかった。興味深いことに、これらの日々があったせいで、我々の中に活力が漲り、思いがけず、結束力すら高めることになったように思う。

だが恐るべき八月七日がやってきた時に、我々の中に不安や猜疑心、利己心が、あっという間に蔓延ってしまったことについて、おそらく気付かぬ者はいなかっただろう。それは困難な時に人はどうあるべきかという、ある種、我々を試すかのような八月七日であった。

そして中旬(八月十三日から二十二日)にあけて)において、我々と八月は、一進一退の攻防を繰り広げた。我々の中で、八月の上旬に、多くのことを学んでいた者がいて、彼らのおかげで、我々はみな打ちのめされずに済んでいたのである。つまり経験こそが、我々の目先の道標となり、我々を支えてくれたのだ。

そして八月二十五日、こいつは寧ろ我々にとっての友、いや、神であったのかもしれない。これまでの日々で完全に死に打ち伏したと思えた者も、二十五日の朝に、思いがけなく甦った。憂鬱なる魂は息を吹き返し、この長い日数のうちに疲弊した者たちは活力を取り戻した。

八月の残り日数は僅かとなり、このままいけば、なんとか八月を乗り切ることができるだろう、と多くの者は考えた。

ところが八月は、悪鬼の使いとも言うべき災厄の二十九日を、我々にもたらした。我々の多くが希望を根こそぎ断たれ、あっという間にたくさんの墓標が並んだ。残りたった二日を凌げば乗り切れたというのに、それは如何に無念なことであったであろう。彼らの無残な死は、生き残った者たちを硬直させ、活力を奪い、不安と恐怖を齎した。

そして八月三十一日、そいつは何食わぬ顔をして、我々の最後の仲間の命を奪った。仲間はわたしに微笑んで、血を吐きながらわたしに言った。

「次なる日々に、おまえを託す」

そしてわたしだけが、八月の最期の日を生き延びたのである。

わたしはカレンダーをめくり、空を見上げ、憂鬱な顔をしながら、そっと呟いた。

「あぁ…、そして九月がやってくる」

ーーー

おしまい。

(小説というか…、ヘンなものを書いちゃいました😅)

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