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Time is money

「時」を売る商売をしていたことがある。およそ20年ばかり前のことだ。

地方都市の路地裏に、元々たばこ屋だった5坪ほどの店を借り、『大澤時間店』(時計店でなく)という看板を掛け、こじんまりと営業をしていた。商品は毎日、そこそこに売れた。
パッケージは一律15分単位1,000円。買っていく客は様々だ。少しでも時間が必要な受験生の母親が子供とともにやってきて3時間分の12,000円を支払っていったり、親が危篤でこれから病院に向かうという家族が1時間分の4,000円を支払っていったりした。
お目当てのガールフレンドと初デートだという初々しい青年もいれば、いかにも不倫カップルらしき人たちが4時間分を買っていくこともあった。
仕入れ先は『Time社』という一社のみで、契約にあたっては、仕入れ先についての情報を決して外部に漏らしてはいけないという、秘密保持を原則としていた。
商品は一枚づつのカード(15分仕様)で、それぞれが透明のアクリルケースに入っていた。
わたしの手元にはこの時の使用説明書が残っているので、使い方としては、そのまま転記したものを読んでいただくといいだろう。

【 “Time 15 Life” 使用方法について 】

ケースを開け、カードをテーブルのような平たい場所に置いてください。

置いた瞬間から、作動します。(あなたの腕時計を見てください。停止します)

カードより半径5mの生物、すなわち人間、動物、植物に作用します。

時間が経つにつれ、当初のカードの色(赤、青、オレンジと様々ですが)が、だんだん色褪せて黒ずんできます。最後に真っ黒になった時に、カードは役目を終えます。いわば宙に浮いた15分の終了です。

商品は繊細なつくりになっております。熱をあてたり、極端に冷やしたり、強い力を加えたり、磁気をあてたり、歪めたり、破ったりすると、作用しなくなるおそれがあります。また、どのような力を加えても、時間の延長には作用しません。

役目を終えたカードは、可燃ゴミとして処理してください。

              Time社 】

以上を踏まえると、例えば初デートの青年であれば、公園のベンチ、レストランのテーブルなどで利用できるということになるだろう。

仕入れ先のTime社もそうだが、わたし自身も、この商売をするにあたっての販売の規範というか、モラルをもっていた。
これは、「買い占めによって、顧客の偏りが発生しないこと」、すなわち寡占的な買い手はお断り、ということである。

店主がこうした規範を持っているにもかかわらず、どこでどう嗅ぎつけたのか、こんな地方の町の路地裏に、遠方から大富豪が現れ、「店の商品をすべて買いたい」「お店ごと買いたい」「Time社について教えてほしい」などと言って札束を突きつけてくることは、それほど稀なことではなかった。時には暴力団を使って脅してくることもあったが、わたしは決して首を縦に振らなかった。

それはわたしが、時の恩恵については、それを必要とする人たちにあまねく行き渡るべきで、一人の大富豪の寿命を延ばすためのものではない、と考えていたからだ。

だがある日、恐れていたことが起こった。
わたしが友人たちと南国へと旅行に出かけ、店を空けていた七日間の間に、店が荒らされてしまったのだ。ガラスが割られ、ドアが打ち破られ、陳列棚からすべての商品がなくなり、店の奥の在庫置き場からも、商品が詰まったダンボールがみな盗まれていた。

落胆したわたしに、電話口で、Time社の社長が言った。自身の怒りを抑制しようとしているが、いかにも空回りしているような口調だった。
「それで、どうすんの?商売続けるの?」
「今はわからない。この業界には保険がないからね。再起するとなると、また借金を抱えることになる。その気力が自分にあるかどうか」
「同情はするけど、キミの責任だからね」
「大事な商品をこんなことにして、申し訳ない」
「最も重大なことは、その盗賊どもに我が社の情報を漏らしていないかどうか、だ。こんな時に厳しいことを言うようだが、万が一、情報漏洩していたなら、復帰したとしても、納品はやめさせていただくからー」

わたしが意気消沈しながら店を片付けていた頃、以前に一度店を訪れたことのある、中東の国(らしき)の大富豪が現れた。リムジンをどこかの広い敷地に停めて、タクシーでこの狭い路地に再びやってきたのだ。
中東の男は、オーダーメイドのブランドのスーツを着て、わたしが目にしたことのない巨大なダイヤの指輪を、左手の中指に二つ並べて付けていた。お付きの二人は、よく訓練されたドーベルマンを思わせる顔つきをしていた。
お付きの一人がジュラルミンケースを開けると、そこには図書館の本のように隙間なく札束が並んでいた。
「あなたヲ、助けタイ…」
中東の男が長い睫毛をぱちくりさせ、カタコトの日本語でわたしに語りかけた。
「ワタシ、コノ店が好き。なんとシテデモ、また再開してホシイ」

以前に来た時には、「お店ごと買イタイ」と言って、同じように札束を見せてきたのだが、その時、わたしは首を横に振った。それでもあまりに執拗だったので、わたしは渋々、一日分(24時間分)だけを販売したのだ。

落胆していたわたしにとって、もはや選択の余地はなかった。中東の大富豪の申し出により、わたしは店を続けることにした。Time社の社長は、万が一情報が漏洩していた場合にはすべての納品をストップすることを条件に、再取引に応じると言ってくれた。

店を改修し、店内にカードが並んだ頃、中東の大富豪は使いの人間だけを寄越し、カードを購入していった。以前に現れたお付きの一人だ。
「お店にあるもののすべてとは言わない。三分の一だけを買いたい」
もちろんわたしの意に反してはいたが、無償で資金を提供してくれた相手に対して、首を横に振ることはできなかった。
不足分をTime社に発注し、商品が届いた頃、また同じ付き人が現れ、店内の三分の一の商品を買っていった。

こうしたことが2ヶ月ほど繰り返された後、地元の警察署から連絡があった。盗難の際にわたしは被害届けを出しており、その際に防犯カメラも提出していて、刑事二課がその分析や捜査を続けていたのだ。

結果、商品を盗んだ連中は、海外を股にかけて活動する盗賊団と判明した。そして彼らのボスを辿っていくと、最終的に、わたしのお店に二度現れた中東の大富豪に行き着いたのだった。

警察署の報告を受け、わたしは店を畳むことを決めた。困っていたとはいえ、わたしは札束にひれ伏した自分を恥じた。「時」は独占されるべきではない、公平に行き渡るべきだという、自身の規範に反してしまったことを恥じた。

店を閉めたあの日から、およそ20年。
風の便りから、わたしはTime社が倒産したことを知った。(これでよかったのだ)とわたしは思った。寡占的であるというならば、Time社こそがそうだったのだ。

「時」は売買の対象であるべきではない、とわたしは考える。
売買の対象でなくなった瞬間、「時」はあらゆる生命にとって、公平な存在となる。
そして「時」こそは、あらゆる人種に、若者に老人に、金持ちや貧困層に、公平に与えられ、また公平に何かを奪ってゆくものなのだ。


(終)

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