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思っていたより

「思っていたよりも背が高いね」

などと言うけれど、この「思っていた」は、ほんとに「思っていた」のか?
そもそも、「何を」思っていたのか。

たぶん「背が高い」ことに気づいたあとに、
あとづけで「思っていた」んだよね。

「思う」ということは、常に「何か」について思うことなのか。

もしかしたら、そんな「何か」をもたなくても、
ひとは「思う」ことができるのかも知れない。

でも、そういう「思い」に、自分自身では気づけない。

他者に出会う(たとえば「背の高い」誰かなどに)、という「出来事」が
事後的に「思っていた」ということに気づかせるのかも知れない。

「思っていたよりも、あなたを思っていることに気づいたよ」
そんな風に、人は、人の思いに気づく。

ひとは、いつも知らず知らずのうちに「思っている」

そのことに気づかせるのは、思いもよらない「出来事」で、
だから、他者がいないと、出来事に出会わないと、
人は「思う」ことができなくなっちゃう。

「他者」はとても厄介者だけど、
人が「思う」ためには欠かせない存在なのだろう。

そんな風に、

思っているよ。


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