心のセーフティネット
自分にとって快適な環境が、誰かにとってはジゴクだったりする。
自分が幸運な時は誰かが不幸だったりする。
『人として』ってフレーズ。他者を限定したり、ジャッジしたりする目的で使える人って憧れる。強いなあって。人ってなんだ。わからなすぎて、自分自身を奮い立たせる時や誰かを励ます時に借用するくらいかな。腹落ちしてないフレーズ。
ロスジェネ世代なんで、就活ん時の氷河感ってものすごく覚えてます。潮の流れでたまたま岸に辿り着いただけで、あれはキツかったす。一旦離脱したくらいだもん。
運が良かったと思います。たまたまその時健康で、元々意識低くて、アタフタしてるうちに漂着したんだなあという感想です。これからどうなるかもわからないしね。
なんて青臭いことを思ってみたおじさんですが、やっぱ、非営利のコミュニティって、淵に立つ人にとっては一つの有効なオプションかもしんないな、なんてことを思います。音楽仲間や野球仲間にずいぶん助けられたって気がするもん。
所属が複数あれば、また違った自分を発見できて多少は救われたりする。生きようとするモチベーションが得られるかもしれない。
寺や教会や神社、お祭り。家族、地域とかの機能が弱まってきた今、心のセーフティネット作るのが相当難しいんだろうなと思います。
そんなアイディアを掲げてるところ、あるかな。いま日本貧乏だし、皮膚からの距離が遠い公約だけだとポカーンとするもん。選挙案内どっか行っちゃったけど。
青臭ぇ〜。夜中に書いたラブレターみたいに、きっと明日はビリビリに破きたくなるんだろうな。
〈FINE〉
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