![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144131328/rectangle_large_type_2_0283382ed1639178058b3896278f00a9.png?width=800)
トラミ兄ちゃんのメジロ捕りと懐かしき日々
この章に登場するのは、マキセトラミである。
トラミは、とみ爺の家の牛小屋に疎開してきた家族の1人で、私より2歳年上のお兄ちゃん。初めはトラミ兄ちゃんと呼びかけた。
仲良くなると、トラミと呼び捨てとなった。
トラミ兄ちゃんは、引っ越して来るとすぐ、近くの山を見て回った。
どこからか、竹を切り出してきて、籤を作り、アッという間に籠を作った。目白籠である。
そして、自宅の前に座って、何やら口に入れてく噛み続けている。
しばらくすると、取り出して、細い木の枝にそれを巻き付けた。
トラミ兄ちゃんの傍らに、木の皮がこんもり。
それを次々に噛んでいく。
小枝に巻き付けられた物は、灰色の得体の知れないもので、トラミ兄ちゃんは、とりもちと、教えてくれた。
プロローグ
「評釈 猿蓑」幸田露伴・著の本で、
鳥刺しを詠み込んだ句に出会った。
(鳥刺しとは何だろうか)と調べていくうちに、
とみ爺の家で出会ったマキセトラミのことを思い出した。
みゝつくは 眠るところを 刺されけり
/ 伊賀 半殘 「猿簔」
露伴は、この句について、あっさり短い評釈をしている。
「鳥刺しにさされてしまったということである」と、極めて短い評である。
鳥刺しとは馴染がない言葉である。
さっそく、愛用の電子辞書の出番となる。
鳥刺し
鳥黐を塗った竿を用いて小鳥を捕らえること。
その人。江戸幕府の役名。
鷹匠に属し、鷹の餌にする小鳥を供したもの。
鳥黐がこんなややこしい漢字とは知らなかった。
辞書に当ると、鳥黐とは、「モチノキ、クロガネモチ、ヤマグルマなどの樹皮からとる」とある。
黐は、鳥を捕らえるのに用いるもち。
「黍を練って、粘りつくようにした、とりもち」と、辞書に出ている。
私は、トラミのメジロとりに付いて回っていたので、小枝に巻き付けられたネバネバがそうだったのかと、思い出した。
出会い
またまた、「とみ爺の家」の登場である。
1944年、父が出征した後、母は、私と妹を連れて、祖父母の地に疎開した。
母の実家は代々農家であったが、私たちが移り住んだ時は、空き家となっていて、「とみ爺の家」と呼ばれていた。
藁葺きの家屋と牛小屋、堆肥小屋、厠小屋などが残されていた。
私たちが暮らし始めてしばらくすると大工が来て、牛小屋の改造を始めた。
母は、遠縁の親戚一家が引っ越してくると言った。
我が家と同じで、主が出征しているという。
改造は3日で終った。
簡単な台所が付いた一間切りの住まいである。
マキセ マキさんという母御と、小学5年生のキヌエ、3年生のトラミの3人家族である。
祖母・ハツ婆の姉様の連れ合いに繋がる親戚らしかった。
改修を担当する大工を通じて、ハツ婆の姉様から、
「よろしく」と母に挨拶があった。
この姉様(母には伯母)は、椿の里東に住んでいた。
母は、この人のことを東の伯母さんと呼んでいた。
疎開してすぐ母は、私と妹2人を連れて挨拶に出向いた。
囲炉裏の横座にどっしりと座って、一言も声を出さず、何だか恐いような雰囲気の年寄りであった。
椿の里の暮しは3年間に及んだが、東の伯母さんと会ったのは、そのとき一度きりであった。
こうして思い出を綴っていると、疎開中の我が家を訪ねてくる人はあまりなかったことが分かる。
その代わり、母の方では、こまめに方々の親戚や知合いのところに手伝いに出掛けたいったようである。
藁屋根の修復、味噌造り、椿の実の絞りなど、集落の共同作業があった。
麦の脱穀に使う唐箕は、集落の人びとの手で運ばれたきた。
終ると順ぐりに次の家に運ばれていく。
母ひとりでできることは限られていた。
トラミのメジロとり
「ツータンは役に立たん」
とトラミ。
ツータン、とは鳴かないメスの目白のことらしい。
よくさえずるメジロをおとりに、仲間のメジロをおびき寄せる作戦である。
おとりの籠の近くに、とりもちのついた枝を用意して待つ。
チョンチョンと近づいてきて、とりもちの枝を掴んだところを捕獲する。
トラミは、「ツータン目白は芋食ってチョン」と唄った。
私は、鳴き声よりも、目白の背の緑色と腹側の薄い黄色の羽根に目を奪われた。撫でてみたいと思った。
目の周りが白いので、さらに緑が際立つように思った。
餌は蒸かした薩摩芋であった。
トラミは、どこで調達したのか時々、ミカンを半分に切って籠に入れていた。
ウグイスで迷い道
私は、長い間、ウグイス色とはこのメジロの緑色のことを言うのだと思い込んでいた。美しいという鳴き声からの連想であった。
実際は、ウグイスの鳴き声も姿も知らない。
辞書によると,鶯色とは、暗い灰黄緑色、とある。
長じて、鶯餅なる和菓子に出会った。
うぐいす餅
餅または、求肥で餡を包み、青黄粉をまぶした餅菓子。形が鶯に似ている」とある。
形が似せてあり、色ではないのかと思った。
青黄粉の色合いがどうもピンとこない。
ウグイス餅は好物にならなかった。
電子辞書でウグイスを検索しているとき、目に止まった俳句がある、
鶯の身を逆さまに初音かな /其角
ウグイスは、木の枝に逆さまの格好で止まって、「ホーホケキョ」と鳴くらしい。初音とすれば、「ケ、キョ、ケ、キョ……」というところか。
メジロは、晩秋に柿のみをついばみに群れで来る。
逆さまになって、熟した柿の実の先端を突く。
ウグイスはどうであろうか。
目白を詠った俳句にはまだ出会っていない。
1945年8月15日、戦争が終った
マキセさん一家は、終戦の年の夏の終わりに、どこかへ引越していった。
わずか6ヶ月ばかりの交流であった。
トラミは小学4年生、私は1年生になっていた。
メジロも籠もトラミもいなくなった
(おしまい)
次は、母の里言葉を取り上げる。
(田嶋のエッセイ)#12
「猿蓑 の 寄り道、迷い道」
第8章「鳥刺し」
2024年6月20日
著:田嶋 静 Tajima Shizuka
をお読みいただきましてありがとうございました。
補足
みゝづくは眠る處をさゝれけり 伊賀半残
<みみづくは ねむるところを さされけり>。
夜の精悍さに比べて昼のボーっとしたところはさえないミミヅクのこと。昼ボケしているところを吹き矢に刺されてしまった。この句については半残宛芭蕉書簡で褒められた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?