投手陣は全員140キロ超え なぜ短期間でチームを強くできるのか? 県岐阜商・鍛治舎巧監督のチームづくり

 秀岳館で3季連続甲子園4強の実績を残した指揮官が、18年4月に県岐阜商の監督に就任すると、からわずか1年半で甲子園出場。15年春以来、甲子園から遠ざかっていた母校を復活させた。なぜ短期間で結果を残せるのか。秘密に迫った。

<プロフィール>
かじしゃ・たくみ
 1951年5月2日生まれ。県岐阜商では69年のセンバツにエース・四番として出場してベスト8に進出。本塁打も記録した。早稲田大では外野手として活躍し、日米大学野球では四番を務めた。卒業後は松下電器(現パナソニック)に入社。75年に阪神タイガースにドラフト2位で指名されたが、入団を拒否した。松下電器では監督を務めただけでなく、社業でも活躍。広報部長や専務を務めた。
 その間、大阪・枚方ボーイズ(中学硬式野球)の監督として全国優勝12回。14年にはパナソニックを退社に熊本・秀岳館の監督に就任。16年春から4季連続で甲子園出場を果たし、16年春から17年春まで3季連続でベスト4に進出した。18年4月に母校である県岐阜商の監督に就任。19年秋の東海大会で準優勝し、幻となった20年春のセンバツに選ばれた。

※インタビューはセンバツの中止が決定になる前に行いました。

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