帝京はもう終わってしまったのか? 帝京・前田三夫監督の苦悩

 もう、8年になる。
 帝京が甲子園から消えてからの年数だ。春夏3度の優勝を誇る名門が最後に甲子園に姿を見せたのは2011年の夏。エースは伊藤拓郎(元DeNA)、主砲は松本剛(日本ハム)。初戦で2年生だった大谷翔平のいた花巻東を破り、2回戦で八幡商に敗れた。

 思えば、あの八幡商との試合が分岐点だった。
 3対0とリードして迎えた9回表の守り。1死満塁のピンチを迎え、帝京内野陣は前に来た。守ったのはベース間のライン上。帝京では「中間守備」と呼ぶ位置だった。

 これを見て、思わず目を疑った。3点差あり、あとアウト2つで勝利という場面だ。2点まで取られても勝てる。一般的なゲッツーを狙う位置(ライン上よりも後ろ)でいい。前に来て、わざわざヒットゾーンを広げる必要はないのだ。

 二、三塁走者は“透明人間”と考え、1死一塁のつもりで守ればいい。念のため、セカンドの阿部健太郎に「1死一塁なら、どこに守る?」と訊くと、「ラインより後ろです」と言った。答えられるのに、実際にはラインよりも前に守っている。それは、状況を考えるJKができていないからだ。

 案の定、この守備位置が仇となる打球が飛んだ。次打者の打球はショートゴロ。これをショートの松本がはじいてしまう。
「1点もやりたくなかった。あそこでひとつ(アウトを)取りたかったんですけど……。自分のミスで流れが一気に変わってしまった」(松本)
 中間守備のはずが、「1点もやりたくなかった」と言っているところにJK不足が表れている。

 強い打球ではなかったため、ゲッツーを取れたかは微妙だが、少なくともアウトひとつは確実に取れる当たりだった。これでスタンドは大いに沸く。東京対滋賀。ただでさえ関西びいきの甲子園のファンが、逆転を期待し、八幡商により大きな声援を送る。直後、まさかの逆転満塁ホームランが飛び出し、帝京は3対5で敗れた。

 勝てる試合を落とした。しかも、自滅で。
 これで、甲子園の女神からそっぽを向かれてしまった。運もなくなり、帝京は甲子園から遠ざかる。敗戦直後はまだ強さを維持していたが、近年は見る影もなくなった。八幡商に敗れた後の帝京の秋と夏の戦績は以下のとおりだ。

2011秋 決 勝 0-2関東一
2012夏 準決勝 2-5国士舘
2012秋 2回戦 2-4日 野
2013夏 5回戦 2-4修 徳
2013秋 1回戦 3-13日大二(6回コールド)
2014夏 決 勝 4-5二松学舎大付
2014秋 準々決勝2-4東海大菅生
2015夏 準決勝 3-8関東一
2015秋 準決勝 1-8関東一(7回コールド)
2016夏 準々決勝6-7城 東
2016秋 3回戦 0-5八王子
2017夏 準々決勝3-4東海大高輪台
2017秋 準々決勝5-12日大三(7回コールド)
2018夏 準決勝 2-7小山台
2018秋 3回戦 1-3早稲田実
2019夏 準々決勝0-1日大豊山
2019秋 決 勝 0-6国士舘

 今秋の大会を迎えるまで、最後に決勝に進出したのが5年前の2014年夏。その間、日野、城東、小山台となんと3度も都立に負けている(調べた2006~2011年は無敗)。しかも、そのうち2度が打力の差が出る夏の大会だ。秋は投手力でやられることがあっても、夏に負けるのは力が落ちている証拠。18年の夏に小山台との試合を観たが、小山台が100試合に1度の試合をしたというわけではなく、普通の力を出して、普通に勝った。番狂わせでもなんでもない。ただ単に帝京に力がなかった。

 その後、甲子園に解説に来ていた前田三夫監督と会ったが、甲子園通算51勝のベテランはこう言っていた。

 「都立に負けてるようじゃ、ダメだよなぁ」

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